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2006年9月17日

NHK の音楽センス

私もそうだが、妻も相当のラジオ人間である。ただ、贔屓のラジオ局に違いがある。私は TBS 派だが、妻は NHK第一放送派だ。

家事をしながら聞く分には、NHK が最も気に障らないという。「昼の憩い」などに代表されるような、半世紀以上も変わらない、のほほんとした間合いがいいのだろう。

私自身も、「変わらない」ということの価値には、相当の重きを置く方で、「黄金のマンネリズム」大好き人間である。しかし、変わらないにも 「ほどがある」という部分もある。

例えば、今時 NHK は「それでは "音楽" をお聞きください」なんて、まじめくさったナレーションを入れる唯一の放送局である。

他の放送局だったら、「それでは、曲、行きましょう」とか、自然な感じでいくのだが、NHK の場合は、なんだか、放送で音楽を流すことが、一種特別のような感覚を、戦前からこの方、ずっと持ち続けているようなのである。

そしてその「音楽」 がすごいのである。誰が選曲してるんだか知らないが、朝食を食べながら NHK の「それでは "音楽" をお聞きください」の段になると、私と妻は、つい身構えてしまったりするのである。

NHK という放送局の性格上、朝の番組で流す音楽は、気持ちよく一日を始められそうな、いかにもさわやかな曲だろうと思われがちだ。しかし、実際は全然違うのである。

まず、夜のムードたっぷりの艶歌だったりする。それも、あんまり聞いたこともないような、「夜の止まり木」なんていうタイトルの歌だったりする。これから仕事に出かけようという時に聞く歌じゃない。

艶歌だけじゃない。ちゃんと洋楽だって流れる。アルゼンチンタンゴは、朝の音楽の定番だ。これは印象だが、三日に一度は、男女が脚を絡ませて踊りたくなるような、濃厚なタンゴが流れるような気がする。

艶歌、アルゼンチンタンゴときたら、次は、むせび泣くサックスだ。ジャズとも言えない、もの悲しくなるようなムード・ミュージックが流される。ああ、NHK的朝のひとときは、ただひたすら、遮光カーテンの中の雰囲気である。多分、外界の見渡せるスタジオなんて、ないんだろうなあ。

こうしてみると、NHK ってそれほど気取っているわけでもない。なかなかくだけている。そして音楽センスの延長線上に、大晦日の紅白歌合戦があるのは、疑いもない事実である。

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