想念の具象化
3年ちょっと前の夏、私は "「パンク男」 を返上したい" というエントリーを書いた。パンクロックとは関係ない。車のタイヤの話である。
当時、私は何の因果か、乗っている車のタイヤがしょっちゅうパンクしてしまう男だった。平均すると、1年に 1度以上はパンクの憂き目にあっていて、ほとんど年中行事だった。
ところが、行きつけのタイヤ屋の親父さんによると、世の中には、「今の車は滅多にパンクなんかしない」 と、根拠もへったくれもなく信じ込んでいる人がいて、どういうわけか、そんな人の車のタイヤは、本当にパンクしないのだそうだ。
「そういうタイプの人は、タイヤ交換はすり減って使い物にならなくなった時だけで、パンクで交換とか修理とかいうことは、本当に滅多にないんですよ」 と、親父さんは笑って言うのである。「信じる者は救われるってことですかねぇ」
へぇ、そんなものだろうかと、私は思ったのであった。ということは、私の車のタイヤがしょっちゅうパンクしてしまうのは、オーナーである私自身が、「パンクはするものだ」 と思い込んでいるからなのか。
そしてこの日、私は次のように書いたのである。
いやいや、これはきっと 「卵と鶏」 だ。たまたまパンクしないで済んでいる人が、パンクしないと信じ込んでいるだけに違いない。いや、それとも、想念もエネルギーであるから、具象化するともいえるのか。
さすれば、今日を限りに私も 「パンクはしない」 と信じ込んでみよう。それで 「パンク男」 を返上できたら、「想念の具象化」 というエッセイでも書いてみようか。
これは、半分はジョークだったが、しかし残り半分は、案外本気だった。とにかく、経験してみればわかるが、パンクは嫌なもので、私は心の底から 「パンク男」 を返上したかったのである。
私は実際に、この日を限りに、 「パンクなんてしない」 と、無理矢理信じ込むことにした。そしてあれから 3年以上経った今日、この間、一度もパンクしていないということに気付いたのである。
瓢箪から駒というか、嘘から出た誠というか、とにかく、それまではあんなに頻繁にパンクしていたのに、ピタリとしなくなったのだ。
それで、約束通り、本日このように 「想念の具象化」 というエントリーを書いている。想念とは、本当に具象化するもののようなのだ。もちろん、それは偶然だとか、無意識の学習の成果だとか、別の見方も十分に可能だが、そこはそれ、ものは解釈のしようである。
私は自分の想念が具象化したと解釈して、誰にも迷惑をかけずにハッピーなのだから、それでよしとするのである。ハッピーな解釈の方が精神衛生にもいいし。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 日本のスタバも、メニュー削減してくれないかなあ(2025.01.31)
- この歳になると、時の経つのがメチャクチャ早い(2025.02.01)
- トイレットペーパーの幅が狭く、長さも短くなった(2025.01.20)
- 「御中」にするために、定規を使って「行」を消すって?(2025.01.18)
- 50年近く前に禁煙したのは「贖罪意識」からだった(2025.01.11)
「哲学・精神世界」カテゴリの記事
- 「図に乗る」というのも、突き詰めるのは難しい(2024.12.01)
- 義父の葬儀が終わった(2024.07.30)
- 「正義の人」は、「美しく澄んだ目」ではいられない(2024.06.15)
- 地獄の沙汰で 煩う前に 戒名さえも 金次第(2024.02.24)
- 「メンヘラ」って、ちょっと気になったのだが・・・(2024.01.06)
コメント
マーフィーの法則を思い出しました
投稿: Bo-z | 2006年9月26日 18:25
Bo-z さん:
いわゆる 「マーフィの法則」には、2種類あるんですよね。
より有名なのは、「やばいことは、最もやばいタイミングで起きる」 みたいな例のやつ。
もう一つは、ジョセフ・マーフィーが提唱する成功哲学。想念が具象化するというのは、こっちの方ですよね。
投稿: tak | 2006年9月26日 22:05