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2006年9月25日

想念の具象化

3年ちょっと前の夏、私は "「パンク男」 を返上したい" というエントリーを書いた。パンクロックとは関係ない。車のタイヤの話である。

当時、私は何の因果か、乗っている車のタイヤがしょっちゅうパンクしてしまう男だった。平均すると、1年に 1度以上はパンクの憂き目にあっていて、ほとんど年中行事だった。

ところが、行きつけのタイヤ屋の親父さんによると、世の中には、「今の車は滅多にパンクなんかしない」 と、根拠もへったくれもなく信じ込んでいる人がいて、どういうわけか、そんな人の車のタイヤは、本当にパンクしないのだそうだ。

「そういうタイプの人は、タイヤ交換はすり減って使い物にならなくなった時だけで、パンクで交換とか修理とかいうことは、本当に滅多にないんですよ」 と、親父さんは笑って言うのである。「信じる者は救われるってことですかねぇ」

へぇ、そんなものだろうかと、私は思ったのであった。ということは、私の車のタイヤがしょっちゅうパンクしてしまうのは、オーナーである私自身が、「パンクはするものだ」 と思い込んでいるからなのか。

そしてこの日、私は次のように書いたのである。

いやいや、これはきっと 「卵と鶏」 だ。たまたまパンクしないで済んでいる人が、パンクしないと信じ込んでいるだけに違いない。いや、それとも、想念もエネルギーであるから、具象化するともいえるのか。

さすれば、今日を限りに私も 「パンクはしない」 と信じ込んでみよう。それで 「パンク男」 を返上できたら、「想念の具象化」 というエッセイでも書いてみようか。

これは、半分はジョークだったが、しかし残り半分は、案外本気だった。とにかく、経験してみればわかるが、パンクは嫌なもので、私は心の底から 「パンク男」 を返上したかったのである。

私は実際に、この日を限りに、 「パンクなんてしない」 と、無理矢理信じ込むことにした。そしてあれから 3年以上経った今日、この間、一度もパンクしていないということに気付いたのである。

瓢箪から駒というか、嘘から出た誠というか、とにかく、それまではあんなに頻繁にパンクしていたのに、ピタリとしなくなったのだ。

それで、約束通り、本日このように 「想念の具象化」 というエントリーを書いている。想念とは、本当に具象化するもののようなのだ。もちろん、それは偶然だとか、無意識の学習の成果だとか、別の見方も十分に可能だが、そこはそれ、ものは解釈のしようである。

私は自分の想念が具象化したと解釈して、誰にも迷惑をかけずにハッピーなのだから、それでよしとするのである。ハッピーな解釈の方が精神衛生にもいいし。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

マーフィーの法則を思い出しました

投稿: Bo-z | 2006年9月26日 18:25

Bo-z さん:

いわゆる 「マーフィの法則」には、2種類あるんですよね。

より有名なのは、「やばいことは、最もやばいタイミングで起きる」 みたいな例のやつ。

もう一つは、ジョセフ・マーフィーが提唱する成功哲学。想念が具象化するというのは、こっちの方ですよね。

投稿: tak | 2006年9月26日 22:05

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