「おみおつけ」 は、ちょー美化語?
文化審議会国語分科会というところが、また何だかやってくれているようだ。敬語を 5分類にするだと? ふーん。(参照)
従来 「尊敬・謙譲・丁寧」 と 3分類だった敬語を、5分類にするという。「お料理」 など上品さを表す言葉は新たに 「美化語」 とし、謙譲語は性質により 2種類に分割する。
何のために、3分類を 5分類に複雑化するのかというと、「敬語の性質を厳密に分類することで、使い方の混乱を防ぐのが狙い」 なのだという。
ふーん、この敬語小委員会という組織の委員の方々は、「厳密に分類すると運用がしやすくなる」 なんていう古典的な幻想を、今の世に抱いておいでらしい。国語の専門家であっても、分類の専門家じゃないからかしらん。
私は今年の 5月に、「分類は魔物」というエントリーを書いて、分類という作業のうっとうしさを訴えた。ちょっとだけ自分の過去ログから引用してみる。
正確に分類しようとして、細かいカテゴリー分けにすると、必ずどれにも当てはまらない 「その他」 というアイテムが増加する。これでは困るから、じゃあ、どれかに当てはまるように、大まかな分類にすればいいかというと、今度は大まかすぎて中身がよくわからないことになる。
それでは困るというので、再び分類を細かくしようとすると、勢い「あれもこれも」ということになり、細かくなりすぎて、またしても「その他」ばかりが増えるという堂々めぐりになる。
今度の敬語の分類に関していえば、例えば「第22期 国語審議会 第1委員会 ((第2回)議事要旨)」というページでは、次のような説明がされている。(ちなみに、このページタイトル、「括弧」を二重で使っているんだけど、正しい国語としては、これでいいんだろうか?)
同じ「お手紙」でも,「お手紙を差し上げる」は謙譲語,「先生からのお手紙」なら「尊敬語」,「お友達にお手紙を書きましょう」のような場合は美化語である。
うーむ、ややこしい。それに、この文章、読点を 「カンマ」、句点を 「マル」 にしているというのも、あながち間違いとは言えないけれど、なじめない。
実際問題として、こんな風に厳密(?)に分類したからといって、敬語の使い方がまっとうになったりするもんなんだろうか? かえって変なところまでこだわりすぎて、つっかえてしまったりするんじゃなかろうか。
同じ「おフランス」でも,「おフランスに参るざんす」は謙譲語,「おフランスのお芸術」なら「尊敬語」,「おフランスではこう言うざんす」のような場合は美化語であると言ってもいいだろうか。
ちなみに、上記のパロのカギ括弧の使い方の不統一は、引用した原文を踏襲したものである。
なんだか、肝心な報告書における国語の運用がこれだけテキトーだと、「まっ、どうでもいいか」という気にさせられる。あるいは、その効果をねらったものか。
ちなみに、「おみそ汁」は美化語で、「おみおつけ」は「ちょー美化語」だろうか?
私は、案外まともに敬語を使える方だと自分では思っているけど、分類なんてのは、ほとんど意識いたしませんことよ。ちょっとだけ意識的になるのは、尊敬語と謙譲語の違いだけだが、それにしたところで、慣れてしまえば自然に申さるることでありんすわいな。
前述の「議事要旨」というのを通読してみると、委員の中には、かなりまともなことを指摘されている方もおいでのようだが、結論となってしまうと、誰か声の大きい方の主張に引きずられる形になるようだ。いろんな行政系の会議の宿命みたいなものかもしれないが。
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