本当に「生徒は犠牲者」 か?
高校の必修科目履修不足問題で、あちこちで「生徒は被害者」という声が上がっているが、「おいおい、ちょっと待て」と言いたい。
「鬼畜米英、一億火の玉」でさんざん盛り上がっていたくせに、戦争に負けた途端に、「国民は一部の軍国主義者の犠牲になった」と言い始めたのと、似たメンタリティではないか。
この問題が報道され始めた時点では、大学受験に不必要な科目の授業をカットしたのは、「生徒の要望に応えた」ものと説明されていたではないか(参照 以下引用)。
■学校側、生徒の要望で変更
富山県立高岡南高校(篠田伸雅校長)で、3年生197人全員が、2年時に学習指導要領で2科目履修する必要がある地理歴史の授業を1科目しか受けていないことが24日、わかった。 (中略) 同校は「大学受験に必要な科目に力を入れてという生徒の要望を聞き入れ、カリキュラムの運用を変えてしまった」と釈明している。
(中略) 同校などによると、生徒が1年生の時に「受験に必要な1科目に絞り勉強したい」という要望があり、「たとえば日本史を学べば関連して世界史の要素も入っており、世界史の履修につながる」と判断したという。
この報道には、裏があることをきちんと理解しなければならないが、生徒側としても「受験に不必要な科目に時間を割かれたくない」と、確かに希望し、こうしたイレギュラーな措置を歓迎していたようなのだ。少なくとも、不満を抱いていたという印象はない。
そのくせに、今になって完全に被害者面をするのは、この間の制度的な理解が不足していたとしても、ちょっとおこがましい。きちんと補修授業を受けて冬休みを潰すぐらいの覚悟はしておくべきだ。補修授業の間に、内職をするなとまでは言わないからね。
「この報道には、裏がある」と書いたのは、学校側はいかにも生徒の要望に添った形でこうした運用をしていたと言いたいようなのだが、実は、進学校としてのステータスを上げるために、積極的に他校と情報交換をしながら、必修科目の授業をカットしてきたのがみえみえだからだ。
こんなことは今さら言われなくても、どこでも公然の秘密だったのだろう。だって、学校現場と教育委員会は、人事的に交流しているのだから、現場の校長が知っていることを教育委員会が知らなかったはずがない。ずっと、なあなあで見逃してきたのだ。
学校側と生徒側の浅はかな利害関係の一致により、長年にわたってセコイ方策として、受け継がれてきたのである。生徒側も、その恩恵を享受してきたのだ。それが本当に「恩恵」といえるかどうかは、かなり馬鹿馬鹿しいレベルの議論になるが。
私の時代は、少なくとも世界史も日本史も、地理も倫理社会も、ちゃんと授業があったという記憶がある。いくら受験に不必要な授業があったとしても、別にそれによって受験に不利になったという感覚はないのだがなあ。
私なんか、倫理社会の成績は特別に試験勉強なんてしなくても、常に学年で断トツのトップだった。日頃から哲学書や宗教書を当たり前に読んでいたので(高校時代に「正法眼蔵」なんて読んでたからね)、高校の倫理社会のレベルなんて、幼稚すぎるぐらいのものだった。
当時、大学受験では社会の科目として倫理社会を選択することもできたはずで、そうすれば、英語と国語は元々苦労がなかったから、私にとって大学受験勉強なんて、不必要と言ってもいいぐらいのものだった。それでも、私は敢えて日本史を選択して、一応「受験勉強」というものを経験することにした。
倫理社会なんて、私にとっては「知的娯楽」だった。大学受験でそれを選択してしまっては、帰国子女が英語で当然の如くいい成績を取るようなもので、そんなアドバンテージを使ってはズルいような気がして、自らにハンディキャップを課したのである。
勉強なんて、パンツのゴムひもをギリギリに伸ばしてしまうようなやり方でするもんじゃないだろうと思うのだ。今日の結論は、これ。
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コメント
現役の受験生です。
おっしゃることは確かにその通りなのですが、今の進学校の世界史などの授業はシステム上まったく面白くないのです。
なぜなら、世界史は必修になっていますが、クラスの中に入試で世界史を必要とする人間はほとんど(私のクラスでは3人です)いないにもかかわらず、「試験で」何が必要か、に絞った授業になるからです。
たとえば、唐代を習えば則天武后や白居易の長恨歌は出てきますが、声を荒らげてそれらを覚えるようには言うものの、則天武后が冷酷な女性の比喩として使われる理由や、長恨歌が楊貴妃と玄宗との関係をうたったものであるということには全く触れません。
要するに、受験でしか必要ないようなつまらないことを一年間ずっと聞かされるわけです。
ですので、私としてはむしろ履修させなかった高校の方が良心的だと思います。
投稿: くわ | 2006年11月 1日 21:09
くわ さん:
ふぅん、最近の授業ってそんな感じなんですかね。
つまらんですね。
まあ、歴史の勉強なんて、自分で歴史書を読む方がずっと身に付くのは確かです。
というか、一つのテーマから演繹して、歴史や地理などの人文学のみならず、科学方面にまで総合的に脱線していくのが、学問の醍醐味ではあるんですけどね。
でも、学校で学ぶつまらん基礎的知識がないと、そうした醍醐味を味わうこともできないというのも確かだし。
投稿: tak | 2006年11月 1日 23:31
きれいごとと取られるか?
そもそも、「やらされる」姿勢のリスクが出た。勉強は自分から進んで取り組むべきもの。「やらされていると面白くない」ことも「自ら取り組むと面白い」ということをも学ぶのが学校、先生の存在価値のひとつだと思っています。 さらに、「言われるままにしていると、とんだ災難が降りかかる」「要求すると何かが失われる」ことを若いときに学べたのは、彼らにとって最大の利益であり、バネにして欲しいですね。
投稿: クノチャン | 2006年11月 5日 10:12
クノチャン:
いやいや、きれいごとどころか、鋭い指摘だと思います。
投稿: tak | 2006年11月 5日 22:40