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2006年10月21日

学力って、そんなに低下してるだろうか?

近頃の若いモンの学力が低下していると言われる。確かに、最近の大学生のお馬鹿ぶりを見ていると、平均水準は下がってると思う。

しかし、それは誰でも彼でも大学に行くようになってしまったから、そう見えるだけではあるまいか。なまじ大学なんかに行くから、必要以上にお馬鹿扱いされるのだ。

私の父の時代は、ある程度優秀な者でなければ旧制中学には行けなかった。ましてや、高等学校や大学に進学するのは、ほんの一握りだった。だから当然にも高等学校や大学の学生は、優秀だったわけだ。

しかし、今では大体 2人に 1人が大学や短大に進学している。昔なら旧制中学に進めなかったレベルでも、今は大学に入っているのだ。平均的にお馬鹿に見えて当然である。

マラソン・ランナーの中にジョギング程度の市民ランナーが大勢混じったら、平均タイムは大幅に下がり、数字だけ見たら、かなり嘆かわしいことになる。しかしマラソンの裾野は大きく広がったことになり、その中から優秀な選手が生まれる可能性は高まる。

ただし、ジョギング程度もできない者が増えたら、そりゃ問題である。もしかしたら、そうした心配をしなければならないところまで来ているのかもしれないが、本当のところはわからない。

「若いモンの日本語が乱れている」と言われる。しかしそれを言うなら、オッサン連中の日本語だって相当に怪しい。客観的に比べたらどっこいどっこいで、若いモンを本当に嗤えるオッサンなんて、そう多くはない。

叩き上げの社長でもっているような中小企業を訪問すると、「社訓」とやらが麗々しく額に入って飾られていることがある。しかしそれらの少なからずは、主語と述語がバラバラだったり、係り受けが滅茶苦茶だったりして、読んでる方が恥ずかしくなるような代物である。

なんでまた清書して額に入れる前に、まともな文章の書ける人に相談しなかったろうかと、悲哀を感じてしまう。しかし、ワンマン社長は自分の文章がおかしいなんて、夢にも思わないのだ。自分は絶対に正しいのだから。

まあ、額に入れられた社訓なんて、眺めるだけのものであって、吟味して読む人なんかいないのである。単なる雰囲気のものなので、どんなに滅茶苦茶でも、実害はそれほどないようなのだ。下手に間違いを指摘したら、野暮なことになりかねない。

明治以前は「読み書き算盤」さえできれば、何とかなった。頭の中のリソースを論語読みに集中することだってできたから、漢文の素養のある者がいくらでもいた。しかし彼らは論語は読めても、フランスの首都も、ピタゴラスの定理も、2個の水素原子と 1個の酸素原子が結びついて水になることも知らなかった。

思えば、今の子は覚えなければならないことがありすぎて、ご苦労なことなのである。ただ、もう少しシステマティックな学習法を採用すれば、「一を聞いて十を知る」ことも可能なのに、相変わらず「十を聞かせて九つ忘れさせる」やり方だから、今の子はお馬鹿に見える宿命を背負っている。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

中島梓。

あの女性、複数ののペンネームを持つ女。
それに同窓らしい。

ただ、ご容貌が、なんだか、だらしない。

私、キリッとしたご面相が好きです。

林真理子さんも、好きになれません。
エッセイも、いっこうに私の心の琴線(ダブル?)に響いてこない。

阿川佐和子もだめだな~。
もちろん壇ふみも。

投稿: alex99 | 2006年10月22日 07:23

alex さん:

同窓どころか、私なんか同期のようですよ。
びっくり。

投稿: tak | 2006年10月22日 20:12

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