腹が減ると怒りっぽくなるのが哀しい
私はレストランとか飲食店とかいうところが、あまり好きじゃない。とくに、料理が出てくるまで長く待たされる類の店は鬼門だ。
待たされるうちに、腹が減る。普段は呑気な私だが、腹が減るとほんのちょっとしたことが気に障る。不機嫌になる。不機嫌になると、せっかくの料理がおいしく感じられない。
最悪なのは、相当に腹を空かせて飛びこんだファミレスとかで、従業員の不手際でなかなか注文を取りに来なかったりとか、30分待っても料理が出てこなかったりとかした場合だ。
決して怒鳴り散らしたりはしないが、相当な不機嫌モードに入り、ブスッとした表情になってしまうのが自分でもわかる。たかが空腹でこんなにも自らのエモーション・コントロールがきかなくなるのが、我ながら情けない。
先日もそんなことがあった。車で出かけた仕事先で、時間に追われて昼飯を食いっぱぐれ、ビスケット少々とコーヒーしか腹に入れないまま、ようやく一段落したのが、日も暮れた6時半頃だった。空きっ腹を抱えた帰り道、以前入った記憶のある蕎麦屋に飛び込んだ。
そこは、とびきりうまいというわけではないが、そこそこの手打ち蕎麦を出してくれる店という記憶がある。そして飛び込んだ時には、他に客は一人もいなかった。ありがたい。これなら、すぐに作ってもらえるだろう。
腹も減っていることだし、やや奮発して1,150円の鴨汁せいろ蕎麦を注文し、店にあった新聞なぞを読みながら待ったが、その日に限って、注文した品がなかなか出てこない。
ふと見ると、ガラス戸の向こう側で呑気に蕎麦打ちなんかやっている。やばい、今打ち始めたのか! それならそうと、初めから言えよ。わかってたら他に行くから。
車でさえなかったら、板わさとか卵焼きで蕎麦前の酒でもやりながら、打ち立ての蕎麦が上がるのを待てるところだが、運転するからには、そんなわけにもいかない。いやそれ以前に、ただでさえ昼飯抜きで腹がぺこぺこなのである。早く食わせろ!
調理場に顔を出し、時間がかかるかどうか、聞いてみる。「それほどは、かかりません」という。むやみに急かすのも大人げないので、そこはおとなしく引き下がる。
それからさらに 20分待つ。まだ出てこない。注文してからだと、優に30分は待ったことになる。蕎麦屋で待つ 30分なんて、ほとんど永遠のようなものじゃないか。初めから他の店に行っていたら、とっくに食い終わり、再びハンドルを握って平和に家路を辿っている頃だ。
堪りかねて再び調理場に顔を出し、まだ鴨汁の方を作り始めていないのなら、もうキャンセルしてもいいのだがというようなことを、遠回しに言う。
向こうは、「もう作り始めているから、すぐにできる」という。「すぐって、何分なのか」と問いつめると、「5分」だという。5分がすぐか?それだと、そば 1枚注文してから 40分待つことになるではないか。
それから 5分待った。まだ出てこない。10分近く経ってようやく運ばれてきたが、「お待たせして済みません」の一言もない。この時間帯に、私の他に客がいなかったというのも無理もない。接客がなってない。
出された品を 1分もかからず、鬼のような形相でかき込んで秒殺した。私はただでさえ早食いだが、腹が立つとさらに異常に早い。これは「まともに味わってなんかやらん」という意思表示のようなものである。
蕎麦湯も飲まず、代金を叩きつけるように払って店を出る。せっかくの手打ちの鴨汁せいろ蕎麦だが、腹を立てるためにのみ、1,150円を払ったようなものである。
レストラン、飲食店のあまり好きじゃない私だが、蕎麦屋だけは別だと思っていた。蕎麦屋では注文の品が出てくるまで、長くても 10分以上は待たされたことがないからである。しかし、世の中にはこんなこともある。
高級レストランや高級料理屋では、料理が出てくるまで時間のかかることがあっても、食前酒や前菜、それにきっちりとした接客で、客に不満を抱かせないようにする。考えてみれば、そうした店の料金が高いのは、料理の質もあるだろうが、そうしたトータルなサービスを含めた話だとわかる。
ということは、余計な時間を、余計な金を払って買っているということにもなる。そんなこともあって、高級レストランや高級料理屋といった類の店は、どんなに旨い料理を食わされても、コストに見合わないというか、金を払えば払うほど時間を無駄にしているという気が、私にはしてしまうのだ。
早く言えば、貧乏性ということなのかもしれない。まあ、そんな高級店は行く機会もそれほど多くないので、それはそれでいいとしておこう。それに気の合う人たちと行けば、それなりに楽しい時間を過ごせることだし。
それにしても、我ながら大人げない話である。落ち着いて考えれば、夕食を食うのに、たかだか 40分待たされただけで、それほどまでに憤慨しなくてもいいじゃないかという気がする。これでは餓鬼道に迷っているようなものではないか。
などと、もっともらしく反省しているようなことを書きながら、心の底ではまだむかついている。ああ、なんて修行の足りない私。こうした点では、私の妻の方がずっと人格ができている。
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コメント
今日の昼(正確には『にじよじ』)は、天ざる蕎麦をしょくしました。
待ち時間は10分程度。
『新蕎麦ですので、香りを愉しんでいただくために、海苔はかけませんでした』とのコメントあり。
確かにうまかった。
投稿: alex99a | 2006年10月10日 16:56
alex さん:
おぉ、もう新蕎麦ですか。うらやましいです。
>待ち時間は10分程度。
そうですよね。
やっぱり、蕎麦屋はこのくらいでないとね。
天ぷら揚げてたって、こんなもんですよね。
蕎麦屋の 40分は、永遠以上です。
投稿: tak | 2006年10月10日 22:53