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2006年10月15日

功徳を積ませるのも功徳

14日の土曜日、京都の大原を歩いてきた。前日に京都府綾部に出張して宿泊したので、初めて大原に脚を伸ばしたのである。

京都って、いつ行っても結構疲れる。さくさくっと眺めてさっさと帰ってくるつもりでも、つい長居してしまう。ゆっくりと座って、雰囲気に浸っていたくなる。なかなか帰れない。

それに、京都は市内の中心地をちょっと外れると、山ばかりだから、案外アップダウンが激しい。とくに洛北はハイキングと言ってもいいぐらいの山道だ。

三千院には、車椅子用の参拝路があった。階段ではなく、スロープを辿って廻れる配慮がしてあるようだ。とはいえ、もともとかなり傾斜がきついところだから、楽に廻れるわけではない。それは五体満足でも結構しんどいのと一緒だ。

なにしろ、日本の山寺は石段を登って参拝しなければならないところばかりである。仏にまみえるにも、体力が必要だ。

「日本の寺は、身障者に思いやりがないなあ」と声高に話している人がいた。うぅむ、一面では確かにそうとも言えるが、仏の慈悲を所現する寺が、思いやりをまったく度外視しているわけではない。考え方次第である。

日本の寺は、体の不自由な人が参拝する時に、五体満足の者が力を貸して功徳を積むことができるようになっているのだと思えばいい。体の不自由な人は、周りの者に功徳を積ましてあげる役割を担っている。お陰様で功徳が積めるのだから、それまた功徳である。

何でもかんでもありがたいと思っていればいい。そうすれば、確かに、何でもかんでもありがたくなる。お寺さんというところは、そういうシステムなのである。

今日は大原周辺の写真をサービス

宝泉院の内部から庭を眺める

 

宝泉院でいただいたお抹茶

 

勝林院本尊阿弥陀如来像

 

三千院のお庭のお地蔵さん

 

音無しの滝

 

大原野の棚田は、石垣で区切られてる

ところで、大原バス停横の呂律茶屋で食べた 「にしん蕎麦」 は、手打ちという割に蕎麦は全然たいしたことないが、身欠きにしんと出汁のうまさで、十分に食えた。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

育児に追われて、24時間待ったなし。泣いたり叫んだりして不満を訴える赤ちゃん相手に心がささくれだっていたところ。
>日本の寺は、体の不自由な人が参拝する時に、五体満足の者が力を貸して>功徳を積むことができるようになっているのだと思えばいい
をよんで、大変心を打たれました。
赤ちゃんのお世話も功徳を積むことなのかも、、、と不意に謙虚な
気持ちになれた一瞬でした。このきもちをキープしていつも優しい
母でいるのは難しいのですが、家事もしなくちゃ育児もしなくちゃで
イライラするとき、スッと落ち着くために思い出したい言葉でした。

投稿: banan | 2006年10月16日 21:47

banan さん:

赤ちゃんのお世話、ご苦労様です。

赤ちゃんは、自分の子どもでも、天からの授かりものと思えば、そのお世話は功徳ですよね。
それに、子育てをすると、自分の親のありがたみもよくわかります。
よくまあ、私のような面倒くさい子どもを、放り出しもせず、育ててくれたものであります。

投稿: tak | 2006年10月16日 23:45

国外にいて、親兄弟、親戚、友達などと会って気分転換することも
叶わないし、外へ出れば外国人でアジア人で目だちたくなくても
目立ってしまい、肉や野菜を買いに行って店員にからかわれたりすると
諸々手伝って、煮詰まってしまって。
おっしゃるように「こんなに苦労して育ててくれたのか」と思いますね。
昨日は一日、「功徳、功徳」と思って接してみました。
今後も頑張ります。

投稿: banan | 2006年10月17日 16:03

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