「致命的な鈍感」という罪
「いじめ」ということが、とても大きな問題になっている。いじめた側を鬼畜の如く非難するのは簡単だが、さて、自分が一度も「いじめ」に荷担したことはなかったろうか。
私は常に「いじめる側」に立つことを、生理的に毛嫌いしてきた。しかし「ちょっとしたからかい」ということになると、どうか。
「典型的弱者をいじめる」ということは、繰り返すが、私にとっては強い生理的嫌悪の対象である。だから、これまでの人生で強者に楯突くことは何度もあったが、弱者を直接いじめたことは、一度もない。そう言い切れるのは、私の誇りである。
しかしである。一見すると弱者には見えない対象を、まるで暗黙の合意の上に立ったように、軽い気持ちでからかったことがなかったかと問われれば、「一度もなかった」と自信を持って言うことはできないような気がする。
福岡で自分の担任した中 2 の生徒を自殺に追い込むきっかけを作ったと報道された教師は、自身の卑怯な行為を「からかいやすかった」からと言っている。自殺した生徒は、成績優秀・明朗快活で、バレーボール部で活躍していたという。
多分、少々からかっても、表面上はさらりと受け流して根に持たないタイプと思われていたのだろう。それだけにその教師は、「いじめ」というよりは、他愛ない「からかい」をしていただけという意識だったのだろう。
あるいは、それは集団の中の潤滑剤のようなものと思っていたのかもしれない。そのちょっとしたからかいが、実は、相手の心に深く突き刺ささっていたことに気付かずに。
かくいう私も、もしかしたら気付かぬうちに相手を傷つけていたことが、あったかもしれない。思い返して反省しなければならない。
ただ幸いにも、私が「ちょっとしたからかい」をした覚えのある相手の多くは、今もあっけらかんと生きていて、顔を合わせれば馬鹿な冗談を交わしたりできる。それは多分、自分がからかっただけ、相手からの他愛ないからかいも、軽い気持ちで受け入れてきたからだろうと思う。
「ちょっとしたからかい」が他愛ないもので済むのは、それが相互的なものである場合に限られるだろう。相手を道化者にしたら、同程度の道化の役割を、自分も引き受けなければならない。
ああ、私が軽い気持ちでからかってしまった多くの友よ、負けずに私をからかってくれて、本当にありがとう。善き友をもって、私は幸せである。おかげで、私は重罪人になることを免れている。
だがもしかして、「からかいのバランスシート」において、私の側に「からかいすぎ」という赤字のある場合もあるように思う。申し訳ないことをした。君たちのためならば、私は今からでも進んで道化者になろう。
常に相手より優位に立ってからかい続けるのは、それは蓄積のうちに「ちょっとしたからかい」では済まなくなるのである。それは「いじめ」に他ならないからだ。
件の教師は多分、ある一面では生徒に人気のある教師だったのかもしれないと思う。それは「からかい」の対象以外の生徒にとっては、軽いスケープゴートを常に用意してくれるという意味で、気の利いた教師だからだ。
スケープゴートは、教室の潤滑剤である。しかし当のスケープゴートにとっては、常にその役割を担わされるのはたまったものではない。思えば、どんな集団においても、スケープゴートを特定する主導権をもつことで、人気取りをする者がある。
人の痛みを理解できない、致命的に鈍感な種族である。そしてそうした鈍感な者に追従する者も、同じくらい鈍感である。空気の読み方を間違っているのである。
私は、ある種の鈍感さというのはそれだけで罪だと思っている。そして自分自身も鈍感の罪に陥らないよう、最大の注意をしようと思う。
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コメント
いつも気にかかっていたのですが、私もいじめをしました。
中学校のクラスに、まだ子供なのに、とても色っぽい容貌と体つきの女生徒がいて、私達男性とはその性のオーラがまぶしくて、自分の無意識下の性衝動を否定したくて、彼女をある意味、さけてのけ者にしました。
今は深く反省しています。
_| ̄|○
彼女と友達になって、彼女の色気に溺れればよかったのです。
(そう言う問題ではないか?)
それ以外はいじめはしていません。キッパリ。
むしろいじめを見ると制止した方です。
自分でもほめてやりたいほどです。
投稿: alex99 | 2006年10月23日 15:40
「いじめ」というよりは、かるい「からかい」なのですが・・・。
私は大阪育ちの深い後遺症を持っていまして、ときどき、他の人のブログに、からかいのこもったコメントを書き込むのです。
私の大阪センス?では、決して悪意とは撮られないはずのレベルのもので、しかもある程度のつきあいのある人ばかりで、いわば、「軽くじゃれついた」つもりなのですが、日本の県人気質も多岐にわたるもので、ときどき本気でしかられ、それ以降、出入り禁止となったケースが数件(も!)あります。
これは、みんな、女性のブログです。
例えば、ある外国旅行が趣味の女性に、「金にまかせての世界旅行 すごいですね~」と書いたところ、激怒されました。
「そんな金持ちではない」と。
私にとってはブログは遊び場であって、こどもの砂場みたいなものなんですけれどね~。
ブログも、極めて真面目な○○新聞解説委員・・・みたいなものもありますね。
投稿: alex99 | 2006年10月23日 15:50
alex さん:
>彼女と友達になって、彼女の色気に溺れればよかったのです。
あまりに若くしてそれをしてしまったら、もうそれで満腹してしまって、その後の alex さんはなかったかもしれないではないですか ^^;)
(これは、「からかい」 ではありません。正直な感慨です)
>例えば、ある外国旅行が趣味の女性に、「金にまかせての世界旅行 すごいですね~」と書いたところ、激怒されました。
>「そんな金持ちではない」と。
確かに、大阪人って、「わしの金でわしが贅沢して、何が悪い?」 的感覚がありますよね。
江戸っ子は 「金持ちであることを恥じるコンプレックス」 というものがあるような気がします。
そのあたり、私は上方文化の影響を受けた東北の片田舎出身ですので、さらに複雑なものがあるような気がします。
投稿: tak | 2006年10月23日 20:50
>
確かに、大阪人って、「わしの金でわしが贅沢して、何が悪い?」 的感覚がありますよね。
それはね~。(笑)
大阪の商売人さんの感覚でしょう。
大阪人でもサラリーマンが大半なんですよ。
投稿: alex99 | 2006年10月25日 22:50
>それはね~。(笑)
>大阪の商売人さんの感覚でしょう。
>大阪人でもサラリーマンが大半なんですよ。
ははぁ、私の偏見でしたでしょうか?
あるいは、私の大阪方面の付き合いが、そっち方面偏重だったかもしれません ^^;)
投稿: tak | 2006年10月25日 23:06