「お邪魔」 文化が、ちょっと行き過ぎると
3日前に書いた「メールの返事は、メールでしろ!」の関連で、もう少し書かせてもらうことにする。例の、「一言で済むレスは、電話でする」とかいう世迷い言についてである。
「邪魔する」ことに関する比較文化論だ。日本では、他人の邪魔をすることに関して、罪悪感がなさすぎるんじゃないかと思うのだ。
何でもかんでも「西洋では……」と引き合いに出して日本人の悪癖をあげつらうのは、ちょっと嫌みなのだが、少なくとも「他人の邪魔をする」ことに関しては、日本人はもう少しセンシティブになってもいいんじゃないかと思う。
「一言で済む」返事のためにわざわざ電話をかけて、相手の仕事のペースを乱してしまうことに対しておそろしく無自覚で、かえってそれを、自分の仕事の能率を上げる「裏ワザ」だなどと、愚かな新聞記事にまでしてしまう文化が、確かに日本にはある。
「邪魔をする」ことを、英語では "disturb" という。または、"stand one's way" というイディオムもある。「誰かの行く手に立ちふさがる」ということは、英語文化圏では確実に「やってはいけないこと」になっているのである。
一方、日本では「誰かの道をふさぐ」ことに、ものすごく無神経な人が多い。高速道路では、追い越し車線をのろのろと行く車がいくらでもあるし、歩道一杯に広がって歩く女子高生やおばちゃんの集団もおなじみである。
私がとても気に障るのは、駅の通路などで右後ろから追い越してきて、わざわざ目の前を横切って左折する(あるいは、左後ろから追い越して目の前を右折する)人がかなり多いことである。こう言っちゃなんだが、そのほとんどは女性である。
右折とか左折とかしたいなら、わざわざ追い越してから目の前を横切るなんて無礼なことをせず、人の後ろで曲がればいいのに。
そもそもニュアンス的には、「邪魔する」イコール "disturb" では、決してない。英語では "Sorry for disturbing you." (邪魔しちゃって、ごめんね)という言い回しがある。本来なら、相手は自分のペースで仕事を進められたはずなのに、自分に付き合ってくれたおかげで、それができなかったことに対するお詫びである。
これが日本では、単に「お邪魔しました」で済んでしまって、「ごめんね」がない。それどころか、初めから「お邪魔します」なんて断って、ずかずか上がり込む。自分の行為が文字通り「邪魔」だなどとは、本音では決して思っていないからである。
つまり日本では、「邪魔すること」は、決して悪いことではないのである。「付き合いなんだからいいじゃないか」ってなもんだ。こっちの都合で無理矢理付き合わせることを、申し訳ないと思う文化との、決定的な違いである。
「邪魔」を当たり前に「邪魔」と感じるのだけれど、ストレートにそれを表現できないでいるといったような、微妙な立ち位置にある子が、いじめの対象になってしまったりする。いじめる側は、「邪魔」を全然「邪魔」と思わない、ウルトラ無神経な子だ。
あるいは、邪魔を邪魔と感じないほど、本当は心が飢えているのかもしれないが。
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