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2006年11月29日

PC の時代は 2015年で終わり?

電車に暖房が入る季節になって、夏の冷房車は、低血圧の OL にとって冷凍車のようなもので、弱冷房車は、脂ぎったオジサンにとって暖房車のようなものらしいと知った私である。

だがそれは、今日のエントリーには何の関係もない。こんな感じの 「つかみ」 というか、「マクラ」 というか、どうかなと思っただけである。

で、今日のテーマは、PCの時代は、2015年に終わるらしいということである。今日の JR 常磐線電車内の、新装なった月刊アスキーの吊り広告に踊っていたキャッチコピーだ。中身を読んでいないので、詳しいことはわけわからないのだが、どうやら、ユビキタス・コミュニケーションがどーたらこーたらという話らしい。

私は PC を毎日毎日使い倒すほど使っているけれど、別に PC 大好きというわけでもなんでもないから、PC の時代があと 9年で終わろうがどうなろうが、知ったことじゃない。PC がなくなっても、今の PC で実現されている機能以上のことがもたらされるなら、全然 OK だ。

よく人から 「tak さんは パソコンが好きだからね」 なんて言われるが、「別に好きでも嫌いでもないんだけど」 と思ってしまう。パソコンを使わないと仕事にならないから、別段抵抗なく使っているだけだ。

毎日毎日、電気洗濯機で洗濯をしている家庭の主婦に、「電気洗濯機がお好きですねぇ」 なんて言ったら、全くの的はずれなのと同じだ。

今の洗濯機よりも革命的に高機能のデバイス、例えば、水も洗剤も使わずに、何かの光線をパッと当てただけでたちどころに衣類の汚れが落ちるようなものが発明されたら、多くの家庭の主婦は、そっちに走るだろう。

「私は、水と洗剤を使ってかき回すタイプの洗濯機を愛してるから、いつまでも使いたいわ」 なんていうのは、圧倒的少数派に違いない。

私とて洗濯をする主婦と同じである。現在のパソコン以上の画期的な機能が、別のデバイスで実現されたら、抵抗なくそっちに走るだろう。

「スイッチを入れて、ハードディスクからプログラムを呼び出すまでにカリカリいって、夏は放熱で暑くてしょうがなくなる、ケーブルだらけの PC から離れられない」 なんてことは、絶対に言わない。

ただし、謳い文句ばかりで、中身は代わり映えしないようなものだったり、現状の PC のコンセプトから離れられず、単にちょっとした見た目を変えただけのようなものだったら、今の PC、しかも  Vista だのなんだのいうものでなく、現状の XP で充分である。

ただ、PC時代の終わりとやらになるまでに、Windows は使命を終えてしまうのだろう。既に Windows の開発は、だんだんとユーザー・ニーズからズレを感じさせ始めているから、そうなるのは時間の問題という気がする。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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