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2006年12月17日

ネット参拝 - 「神霊」 はどこに存在するのか

神社本庁が「ネット上に神霊は存在しない」と言い切っているらしい(参照)。うぅむ、これって、かなり論争を呼びそうな発言だ。

じゃあ、神社になら存在するのか。他には存在しないのか。あるいは、一本の草木にも神霊は存在するが、ネット上に限っては、存在し得ないということなのか。

最近、ちらほらみえる「ネット参拝」に関しての問題である。深く突き詰めようとしたら、「神とは何ぞや」という根本的な問題にまで行き当たってしまいそうだ。

折口信夫は、日本の神社の元々の形は、拝殿があって本殿は存在しなかったというようなことを言っている。上代においては、神社の背後にそびえる山そのものがご神体であったりして、神社はそれを遙かに拝(おろが)みて祈るための、いわば「窓口」みたいなものだった。

今でこそ、神社の「拝殿」の背後にはもっともらしく「本殿」があるが(といっても、よくわからん人も多いと思うので、詳細は、こちらを参照のこと)、本来は、礼拝の窓口としての「拝殿」こそが神社だったとみることもできる。本殿のない神社の原初的な構造は、大神神社(三輪神社)に残されている (参照)。

だったら、ネット上に「拝殿」機能をおくことだって、まんざらおかしなことではない。礼拝のための窓口ならば、どこにどんな形で存在してもいいだろうということだ。

むしろ日本的な「神」とは、天地万物に宿るものであるから、いわば「遍在」するものである。オムニプレゼンスである。あるいは、流行の言葉で言えば、「ユビキタス」 ある。

と、ここまで言ってしまうと、もしかしたら、日本の神を礼拝する窓口として、ネットはむしろ、とても相性がいいかもしれないではないか。何も、神社のみにその機能を独占させておくことはない。

とはいいながら、やはり、独特の神々しさというか、清浄な雰囲気というか、リアルの神社にはそれなりに、バーチャルでは得難いものがある。本当の神社に足を運んでこそ御利益があるなんてことまでは言わないが、そこはそれ、気分の問題ということもある。

だが、身体的ハンディキャップなどでリアルの神社に参拝できないような人には、ネットでの参拝の機会を保障するということだって、神ながらの心の現われと言えるかもしれないではないか。

こんな性急に「ネット上に神霊は存在しない」なんて言い切ってしまったのは、まるで「既得権益確保」みたいな臭いがして、ちょっと勇み足だと思うがなあ。

(蛇足かもしれないが、日本の神社の場合の「礼拝」は、「れいはい」ではなく、「らいはい」と読むので、よろしく)

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

ネット参拝だとお賽銭がもらえないからでしょ。Web上でも収入につながるしくみが完備すれば神社側も撤回しますよ。

投稿: Reiko Kato | 2006年12月17日 12:53

Reiko Kato さん:

>ネット参拝だとお賽銭がもらえないからでしょ。Web上でも収入につながるしくみが完備すれば神社側も撤回しますよ。

わはは (^o^)

お金が徴収できる仕組みを作ったとたんに、「やっぱり、ネット上にも神霊は存在しました」と、言わせてみたい気も。

投稿: tak | 2006年12月17日 15:01

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