スカイプをまだやってない理由
いろんな人から 「スカイプ」 を始めるように勧められて、ヘッドセットまで買ったのだけれど (安いし)、いざやろうとすると、なんだか面倒くさくなってしまって、まだ始めていない。
結構新し物好きのくせに、どうしてスカイプには二の足を踏むのか考えてみると、要するに私は電話が好きじゃないのだね。
私は普段の仕事でも、できるだけ電話ではなくメールで済まそうとする傾向がある。電話なんてものに縛られなくて済むようになって、かなりありがたいと思っている。せっかくそうなったのに、なんでまた、電話なんかに逆戻りしなければならないのだ。
下手にスカイプを始めてしまって、それを公言したりしてしまったら、浮世の義理で、あちこちに「スカイプ仲間」を作らざるを得なくなって、別に必要もないのに、「スカイプをするためにだけスカイプをする」という時間を捻出しなければならなくなりそうだ。
ああ、それを思うと本当に億劫になってしまって、ますます始める気にならないのである。
もしかしたら、こっそりと始めればいいのかもしれない。その場合は、スカイプから一般回線への通話が安くなるだけだが、それだけでもメリットはある。じゃあどうすればいいのか、スカイプのウェブサイトで調べてみると、「skype クレジットを購入する」なんてことが書いてある。
ありゃ、フツーのクレジットカードでは支払えないのか。何なんだ、その 「skype クレジット」 ってのは? どんなものか調べてみようとクリックしてみると、いきなり購入画面に入るためのサインイン画面になる。まだ ID すら取得してないのに、サインインなんかできるわけないじゃないか。
というわけで、何だかいつも面倒くさくなって、途中で挫折してしまうのである。スカイプなんてなくても、全然不便してないし。
と、ここまで書いてみて、まだインターネットをやっていない人たちが挫折する理由がわかったような気がする。要するに、スカイプをやってない理由の裏返しだ。
ウチの父なんかも 「インターネットをやると世界が広がるよ」 とさんざん言われても、全然興味を示さない。
まず、パソコンの画面に向かうのが嫌いなのである。通信は電話で済ませられるし、情報はテレビと新聞で得られるから、それでいいのである。
でも、インターネットは便利らしいから、やってみようと思わないでもないが、何だかしらないが、ID とか パスワードとかを求められるのである。わけのわからんものに、ID とか パスワードとか使いたくないのである。そこで挫折する。
いいじゃないか。インターネットなんかなくたって、別に不便は感じないし、電話で十分だし。
というわけで、両者は単なる裏返しのような気もするが、決定的に違うのは、もしインターネット会議なんかをしなければならなくなって、どうしてもスカイプを始める必要性に迫られた場合、私はいつでも始められるということだ。なるべくしたくないけど。
【2022年 3月 8日 追記】
ふとしたついでに、16年も前のこんな記事を発見した。書いた本人も忘れていたぐらいのものだ。
"Skype" というのは Microsoft が提供していたものだが、同社は昨年 7月に Skype for Business Online の提供を終了している(参照)。今どきは Zoom が普及していて、Skype でビデオ会議するなんて聞いたこともなかったから、別に大勢に影響ないよね。
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コメント
スカイプは自分も断念した経験があります。
インターネットの回線はもちろん、金銭的な面でも無料で問題なかったのですが、
ほんのわずかな手間が、ためらわれたのです。
今もそうですが、損得勘定に直せば何の問題もないのにどうしてこれほど抵抗を感じるのか、
考えてみるにそれは決心に至る動機がない、コレに尽きるのではないでしょうか。
突然ですが、心は海に向かって最短距離を走る水のように、非常に柔軟だけれども一貫性を持つもの、
であると自分は考えています。
つまり、何にでも慣れるけど、自分の行き先を阻まれたり、自分の身に降りかかって来ない限りは、
進んで取り入れたりはしないという事です。
そして、この省エネ志向とでも言うべきものによって、手間を割く事がためらわれるのだと思います。
ちなみに海とは快感の事だと思っています。そこに向かってなりふり構わず一直線、
それが正直に生きるということではないでしょうか。
このためらいの感情は己の誠実さに反する時のそれに似ている気がします。
投稿: 夜の指揮者 | 2006年12月30日 22:19
夜の指揮者 さん:
>つまり、何にでも慣れるけど、自分の行き先を阻まれたり、自分の身に降りかかって来ない限りは、
>進んで取り入れたりはしないという事です。
なるほどね。それはありますね。
つまり、自分の身に降りかかってきてないんですね。
投稿: tak | 2006年12月31日 17:42