政治家のための日本語教室
政治家がどうでもいい発言の言葉尻で余計なツッコミをされないためには、どんな点に気を付ければいいか、まとめてみた。
まず、人間を人間以外のものに喩えてはならない。女性を「産む機械」だの「産む装置」だのに喩えるのは、いくら「ご免なさいね」なんて謝りながらでも御法度である。
しかし、定年を過ぎた亭主を「粗大ゴミ」だの「濡れ落ち葉」だのに喩えても、あまり問題はないようだ。このあたりはかなり冗談めかしつつ、自分もその同類に近いようなことをほのめかしさえすれば、まず OK である。
人間を機械に喩えるのが問題ならば、動物に喩えるのも、いささか問題になるはずだ。
「選挙に出馬する」などと言うと、極端は話としては「私をウマ扱いにするのか」と、革新系女性議員に突っ込まれかねないので、要注意である。同様に「勝ち馬に乗る」「負け犬」「夜の蝶」なども、避けるにこしたことはない。
また、ある一定の状態を「健全」と称することはタブーである。そうした状態が、少なくとも「不健全」ではないという場合でも、それを「健全」と称した途端に、「それ以外の状態は不健全だというのか」と、理不尽な追及を受ける危険性がある。
同様に、「望ましい」とか「しかるべき」とか「あり得べき」とかいうのも避けるべきである。さらに「特殊な」とかいうのもかなり危険である。「たまたま多数派であるところの」とか、「残念なことに少数派であるところの」とか言ってごまかすのがいい。
ただし、それによって論点がボケボケになってしまうことは、避けがたいこととして甘受しなければならない。
「望ましい状態」を「望ましい」 、「健全な状態」を「健全な」などと、ストレートに言うのは危険だが、いったん弱みをみせた相手に対しては、「あり得べからざる」とか「人間として許されない」とか、最大限に攻撃的な言葉を使ってとことん叩いても、一向に構わない。ただし、後でどんなどんでん返しがあっても、知らない。
「神」についての言及は、日本人である限り、タブーである。ただし、外国人ならいくら言っても問題はないようだ。つまり日本人の政治家は、無神論者であることが求められていると言ってもいい (参照)。
さらに、つい口が滑って問題発言をしてしまった際には、あまりぺこぺこ謝らず、「何がいけねえんだ」ぐらいの傲慢かつ高圧的な姿勢を貫く方がいい。石原都知事はこの手法でほとんど乗り切っているが、あるいは政治家のキャラへの依存度が高いかもしれないので、誰にでもオススメというわけではない。
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コメント
こんにちは。取り越し苦労であらばよいのですが、今日のコラムからはイライラというかくだらない物事への怒りのようなものを感じました。皮肉まじりというより“まみれ”でしたので。
投稿: とも | 2007年2月11日 11:27
とも さん:
>取り越し苦労であらばよいのですが
わたしもそう願いたいです ^^;)
私は喜怒哀楽で(つまり感情で)文章を書くことはほとんどありません。
かなり怒っている時に、その怒りを押し殺して書くことはたまにありますが、そんな時は、まあ、当然といえば当然ですが、怒りは読み手にほとんど伝わらないようです。
これは、自分の「感情押し殺し」が成功しているわけですが、その反面、「本当は、かなり怒ってんだぞ、この野郎!」 みたいな、欲求不満が残ることもあります。
逆に、全然怒ってなくて、単に理屈だけで(多分に屁理屈を含む ^^;) 文章を書いたときに、怒っていると勘違いされることが、かなりあるようです。
あるいはそんな時は、自分でも気付かない無意識の怒りが現われているのかもしれませんが、どうなんでしょうね。
自分で気付かないぐらいですから、大した怒りじゃないということもできますが、逆に、自分で気付かなくても現われるというのは、根深い怒りなのかもしれないし。
思うに、私は感情 (とくに怒りの感情) のコントロールはできても、ハンドリングが下手なようです。
投稿: tak | 2007年2月11日 22:36
お邪魔します。がんなむぅです。
すみません。一言申し上げます。
「ナイス!ハンドリング!」
投稿: がんなむぅ | 2007年2月12日 02:26
がんなむぅ さん:
>「ナイス!ハンドリング!」
自陣ペナルティエリア内で、PK 取られたりして ^^;)
投稿: tak | 2007年2月12日 11:00