「なんで怒ってるの?」 「怒ってないよ」
昨日のエントリーに、「イライラというかくだらない物事への怒りのようなもの」を感じたという、ご心配のコメントをいただいてしまった。
下手なジョークが機能しそこねて、別に怒っていないのに、怒っているような印象を与えてしまうというのは、まったくもって不徳の致すところである。よく気を付けよう。
ふと思いついて、「なんで怒ってるの? 怒ってないよ」というキーワードでググってみたら、1,050件がヒットした。かなりありがちなシチュエーションなのだなと、感慨を深くしてしまったのである。で、「なんで怒ってるの?」と聞くのは、どうも女の方が多いようなのだ。
我が家でもホンのたまにだが、妻や娘に「何でそんなに怒ってるの?」と聞かれることがある。ところがそんな時というのは、私はほぼ 100%、全然怒ってないのである。怒っているどころか、頭の中は冷静そのもので、論理的分析に集中している時なのである。
「怒り」とはもちろん感情の発露なのだが、そんな時の私には、感情の入り込む余地など全然ないのである。大抵は「感情」というものの存在すら忘れている。だから「怒ってる」と見られることそのものが、ちょっとしたショックなのである。
論理的思考に集中しているのだから、生産性のない「怒りの感情」なんて排除したいのである。そんな時に「怒ってるの?」なんて聞かれると、「呑気に怒ってるほど暇じゃないよ!」と、初めてちょっとだけむっとしちゃったりするぐらいだ。
例えば、ちょっとした不都合があった時など、そしてそれが案外ちょくちょくあったりする時など、それが「ちょっとした」不都合であるだけに、そんなことは「ちょっとした注意」で解決できそうに思える。それで、どんな風に注意すればいいのか考えてみたくなる。
で、その状況に至るまでの経緯などを妻や娘にヒアリングしてみて、どんなケースでその不都合が起こりやすいのか、分析しようとする。
分析というぐらいだから、少しは詳しく聞いてみたくなる。念のためいうのだが、それは怒りにまかせての詰問とか、責めているとかいうのでは全然ない。逆に非常に冷静である。「これから、こんなことが起こらないように、お互いに気を付けるために、ちょっと思い出してみようじゃないか」ってな程度のノリである。
ところが、それが妻や娘には、「怒り」として受け取られるようなのである。「そんなに怒らないでよ。こんな小さな事で、どうしてそんなに問いつめられなければならないの?」ってな感じらしいのだな。
それがわかったので、先日は、「じゃあ、そういう時は、こちらは超々低姿勢で、『恐れ入りますが、ご協力のほどを。ちょっとだけ思い出していただけませんかねぇ』ってな感じで聞くからさ。頼むから、怒ってるなんて思わないでよ」なんて言ってみたのだが、どうやら、それは言い訳的冗談と思われてしまったようなのだ。
その時、実は私にはわかっていたのである。そんな低姿勢とかなんとかいう問題ではなく、感情の入り込む余地のない私の態度こそが、彼女らには「怒り」として感じられるようなのだということを。
私にしてみれば、それは「怒りの定義の間違い」ということになるのだが、それを言い出すと、また「何でそんなに怒ってるの?」と言われるに決まっているので、それはよっぽど絶好の機会が巡ってくるまで持ち出さないのである。
要するに、「怒り」ということに関しては、男と女ではメカニズムが違うのではないかという気がするのである。
それ故に、「男の冷静」は、時として女には「怒り」として感じられるようであり、女の「怒り」は、時として男には 「なんで急にそんなに感情的になるんだ?」と感じられたりすることがある。(念のために言うが、逆の場合だっていくらでもあることを、私は理解している)
で、それさえわかれば、あとはお互いの理解に少しは近づけるのではなかろうか。女には「別に、怒ってるわけじゃないのね」と思っていただきたいし、男の方も、女のちょっとした感情的高ぶりを論理で鎮めようとかやりこめようなんて、的はずれはしなくて済むと思う。
なお、このエントリーは、ジェンダーフリー論者から突っ込まれそうなリスク満載なので、断り書きをしておくが、そりゃあ、男にもめちゃくちゃ感情的な馬鹿親父が多いし、ものすごく論理的な「デキル女」もいくらでもいることを、私は十分認識している。
だから、「男」という単語を「論理型人間」、「女」という単語を「感情型人間」と言い換えるべきだったかとも思うが、それはそれで、ステロタイプに堕する危険性がある。同じアブないなら、敢えてばっくりとした個人的印象からくる平均値として言わせていただいた。
なお、ご心配のコメントをくださった ともさんが、男か女か私は存じ上げないが、それはこのエントリーとは切り離して考えて頂きたい。(全然怒ってないからね)
【同年 9月 10日 追記】
「飯豊の空の下から」 の mikio さんが、「気むずかしい顔」というエントリーを書いている。「文学系理論家と工学系ロマンチスト」 という違いはあるものの、このエントリーと、根っこの部分がすごく共通しているようで、フムフムと、何度もうなずいてしまった。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 今年の梅雨入りは平年より遅いらしいので・・・(2026.05.30)
- スーパー銭湯でゆったり湯に浸る極楽気分(2026.05.11)
- サンマルクの業績が、V字回復なんだそうだ(2026.05.05)
- 茨城の海岸での潮干狩りって、結構危ない(2026.05.03)
- GW 序盤の天気は、あまりよくないみたいだね(2026.04.29)







コメント
>感情の入り込む余地のない私の態度こそが・・・
全く同じ経験を、私の連れ合いに感じたことがありました。
理攻めで、畳み込んでくる感じなんですね。
そんな時に<怒り>ではないかと、感じてしまうんです!
ここが、男女差かどうかはわかりませんが、
性格でしょうか・・・。
投稿: 歩遅子 | 2007年2月13日 01:26
お邪魔します。がんなむぅです。
私なんぞ、気が小さいので、相手の顔色を伺って、「何か、怒ってます?」と問いかけます。
私が『難しい』顔をしていると、「何か怒ってるの?」と、遠慮なく聞いてきます。
>怒っているどころか、頭の中は冷静そのもので、論理的分析に集中している時なのである。
怒っているときもないとは言いませんが、私の場合も、何か考えているときに『難しい』顔になっているみたいです。
投稿: がんなむぅ | 2007年2月13日 08:11
歩遅子 さん:
>全く同じ経験を、私の連れ合いに感じたことがありました。
>理攻めで、畳み込んでくる感じなんですね。
>そんな時に<怒り>ではないかと、感じてしまうんです!
多分、「怒り」 じゃないんですよね。
「ね、ね。こうなって、こうなって、こうなるからには、こうした方がいいでしょ。だから、こうしようよ。わかってよ。ね、ね」
と言いたいんですが、それをわかりやすいように(と勝手に思って)くどくどと強調するものだから、相手はますます恐れをなして引いてしまうというような、そういう感じなんですね。
だから、恐れないでくださいね。
投稿: tak | 2007年2月13日 09:38
がんなむぅ さん:
>私の場合も、何か考えているときに『難しい』顔になっているみたいです。
母が私に言ったことがあります。
「父さんは、時々、ものすごく恐い顔をして黙り込んでいるときがあるけど、一体、何を怒ってるんだろうか」
私は即座に答えました。
「そりゃ、考えてるのさ」
母は大変に驚きました。
「考えてるぅ!? へぇ~~~!」
私は言いました。
「母さんは、『考える』 なんて、したことないから、わからないんでしょう」
母は感じるまま、思うままに人生を生きる人なので、人間がいちいち深く考えるなんて、思いもよらなかったみたいです。
それで、「考えている父」 を、「訳のわからない状態に入っている」 と感じて、ものすごく恐れていたようなのです。
投稿: tak | 2007年2月13日 09:47