ペシミスティックな時代の菩薩
国連の 「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC) は第 4次報告で、地球温暖化は人為的原因によって起きている可能性が「非常に高い」と結論づけた (参照)。
やれやれ。「他人に迷惑をかけないように」 と育てられた我々だが、どうやら生きているだけで、全地球的に迷惑をかけているらしい。
寒いからといって、ストーブやエアコンを点けるだけで、また通勤のために電車に乗るだけで、会議の資料をコピーするだけで、はたまた息をするだけで、我々は二酸化炭素をまき散らし、地球を温暖化させている。
報告書は、大型ハリケーンの増加など多くの気候変動は「温暖化の影響である可能性の方が高い」と述べ、「たとえ二酸化炭素など温室効果ガスの濃度が安定化したとしても、温暖化を止めることはできない」としている。つまり、どんなに省エネに気をつけても人間が生きて生活する限り、温暖化は長期的に続くということだ。
誠実に生きようとする者にとっては、つらい時代である。かくまでペシミスティックな時代が、人類の歴史上あっただろうか。「他人に迷惑をかける」ということを罪悪とする以上、我々は「これ以上、生きるな」と言われているようなものである。
「それでは、地球全体で集団自殺いたしましょう」というわけにもいかないから、我々は何らかの救いとなる哲学を求めたくなる。科学的な視点では、どうみても人間は「悪役」のようなので、別の視点が必要だ。
科学を否定しはしないが、今の時代、誠実な人間ほど宗教的なものに救いを求めたがる傾向があるのは、こうした精神的底流があるからだと思う。
ただ、宗教に救いを求める者の多くは、自分だけは悪役でありたくないという無意識的な心的傾向をもつ。しかし、それは結局「エゴ」というものだ。このエゴに迎合する限り、いかなる宗教も真に人を救い得ない。
宗教がエゴの別名になっていることによる悲劇は、世界中に見られる通りである。
時にはちょっとした悪役さえ引き受けながら、なおかつ他を救おうとする者が、仏教でいうところの「菩薩」である。私自身はそういうものでありたいと、本心から願うのだが、これがなかなか難しくもしんどいことである。
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コメント
過去の省エネブームのとき、夜間のテレビ放送がなかったり
省エネスーツが出来たり
GSも営業していない時間があったり
オゾン層の破壊とか、色々言われてたけど
今は表面的には静かですね。
それでも地球は回る…
投稿: アンジェロ | 2007年2月 5日 22:51
アンジェロ さん:
今は、当時よりずっと効果的な省エネが、地道に行われていると思いますよ。
ただ、それを上回る勢いでエネルギー消費が伸びているのが問題で。
投稿: tak | 2007年2月 5日 23:28