戦争と平和
「今日の一撃」 がココログに移行してから書いていないので、久しぶりでこれだけは書いておかなければならない気がしてきた。
それは、「ほとんどすべての平和運動は『総論』としての視点しか持ち合わせないために、『各論』としての戦争遂行圧力に、常に負けてしまう」ということである。
戦争が好きな人は(多分、ほとんど)いない。誰だって平和を求める。商売で戦争をする軍人だって、建前上は「平和のため」に働いている。
それではなぜ、誰も求めない戦争が常に世界で勃発し、誰しもが求める平和が実現しないのか。それは、人間というのはほとんど常に、「総論賛成、各論反対」で動く習性を持っているからである。
平和は総論で語られ、戦争は各論で説かれる。総論は抽象的だが、各論は具体的だ。世の中というのは、せっぱ詰まってしまうと、抽象論は具体論に敵わないのである。腹が減ってしまう抽象論は、満腹にさせてくれる(という幻想を与える)具体論の前では、無力だ。
これは、理想論と現実論の相克と言ってもいいだろう。
平和運動の進むべき道は二つある。一つは、総論(抽象論/理想論) 一辺倒を離れて各論(具体論/現実論)レベルの論議に耐えうるものに進化することである。権謀術数を尽くしてでも、とにかく戦争にだけは突入せずにすむだけの具体的力をもつことだ。
これは、あるいは平和主義者の最も苦手な世界に突入することを意味するかもしれない。もしかしたら、弾丸が飛ばず、血が流れないというだけで、その実、もっとおどろおどろしい世界に手を染めなければならないかもしれないのだ。
もう一つは、戦争で得られる「具体的な利益」というのは、常に幻想であるという認識をしっかりと説くことだ。戦争の悲惨さを説くだけでは、全然足りない。戦争では誰も勝たないのである。
人がいつも 「総論賛成、各論反対」で、平和への願いを自ら裏切るのは、戦争で得られるとされる「具体的な利益」という幻想に、一時的にせよひれ伏してしまうからだ。それが幻想であるということは、世界の歴史が照明しているのだが、誰もそれをまともに説かない。
戦勝国が得をして、敗戦国が虐げられるという表面的な歴史しか説かれないから、戦争して勝てば、利益が得られると思いこむのである。しかし、それが本当なら、第二次世界大戦の戦勝国がたった 60年後に、こんなに困っていたりはしない。
結局は、人間の欲望に際限がないから、一見具体的に見える各論の幻想に負けてしまうのである。
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コメント
この「総論賛成、各論反対」ってあらゆる議論にあてはまることだと思いました。
議論が間違った方向にいったり、停滞するのってこれが原因の場合が多いですね。
この「総論賛成、各論反対」のワナっていう視点が広く知られるのが一番効果的なのかなと思いました。
そうしたらもっとまともな議論になるような気がします。
投稿: fb | 2007年3月20日 04:15
fb さん:
>この「総論賛成、各論反対」のワナっていう視点が広く知られるのが一番効果的なのかなと思いました。
なるほど。
確かに、最もひっかかりやすい 「ワナ」 ですからね。
いくら各論で裏切っても、総論では賛成しているということが、免罪符として機能しているってのが、困りものなんでしょうね。
総論的には一見メチャクチャ言ってても、各論できちんとしてくれる人の方が、ずっとありがたいってなもんです。
投稿: tak | 2007年3月20日 22:02
卓抜なご意見に敬服です。
総論を「いいわけ」、各論を「本音」と言い換えてもいいですね。
投稿: alex99 | 2007年3月20日 23:25
alex さん:
>総論を「いいわけ」、各論を「本音」と言い換えてもいいですね。
総論を 「建前」 と言わずに、「いいわけ」 と断じているあたりが、鋭いですね。
ただ、言葉のアヤかもしれませんが、私は 「建前論の復権を」 というエントリーを書いているのを思い出しました。
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2005/02/__1.html
投稿: tak | 2007年3月21日 11:09