掃除の功徳
私は昨日のエントリーで、「奉仕活動の必修化においても、極端な汚れ仕事は避けるべきだと書いた。しかし世の中には「裸足でトイレに入って、素手で便器をきれいにする」ことを奨励するという、徹底した人もいる。
最近注目の、イエローハット創業者、鍵山秀三郎氏の「掃除哲学」である。
鍵山氏は「掃除をすることで、世の中がよくなる」と言っておられる。これに対して合理的思考をする人は、「確かに掃除して周囲をきれいにすることはいいことだろうが、それで世の中すべてがよくなるとは、飛躍がありすぎる」と反発するだろう。
「掃除することと、世の中をよくすることは、別の問題だ」というのは、確かに理屈である。だが、「掃除で世の中がよくなる」というテーゼにだって、いくらでも理屈がつく。その理屈は、上記のリンク先に飛べば書いてある。
しかし、このケースで重要なのは理屈よりも、体験してみて、確かにそうだと実感することによる「経験知」である。その経験知を得たお話が、こちら に載っている。
私は繊維関連の業界記者としてのキャリアが長い。その経験知からすると、紡績工場でも、織布工場でも、縫製工場でも、「優秀」とされる工場の多くは、とても掃除が行き届いている。
繊維というのは綿ゴミと切っても切り離せない業界である。しかし、信じられないほどに綿ゴミの舞っていない工場というのがあり、それは決まって、とても優秀な工場である。
ただ、掃除の行き届いた工場と、生産性の高い工場というのが、必ずしもイコールというわけではない。綿ゴミが舞っていても、生産性は高いという工場もあるにはある。しかし掃除の行き届いた工場の方が、従業員が仕事を楽しんでいるという雰囲気がある。
掃除は行き届いていないけれど、生産性は高いという工場の従業員は、何とはなしに「苦役」をさせられているといった雰囲気なのだ。どうやら、人間の脳内システムというのは、掃除をすると活性化するようにプログラミングされているんじゃないかという気がする。
で、自らを振り返ると、机の上は書類が積み上げられ、本棚にもうっすらと埃が堆積し、車は泥だらけ。お恥ずかしい限りである。でも、私は道端や電車内に放置された空き缶やペットボトルを見つけたら、拾ってゴミ箱に捨てるのが習慣だよ。ささやかなお話だが。
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コメント
面白い話ですね.
理屈だけからいうと,
仕事を楽しめるような職場だから,掃除もきちんとやる,とか,
掃除をきちんとやる余裕のある職場だから,楽しく仕事ができる.
といった事も考えられます.
投稿: Ast | 2007年3月28日 07:01
Ast さん:
確かに、理屈の上ではなんとでもいえますね。
でも、まあ、結果オーライということで。
ただ、「掃除をきちんとやる余裕のある職場」というのは、
その意味合いがなかなか複雑です。
多くは、従業員が始業時間よりかなり早めに出勤して掃除したりしてます。あるいは、自社内だけじゃなく、近所の路上までやったりしてます。
一見すると、サービス残業(じゃない、サービス始業?)で、理不尽な労働強化みたいに見えたりします。
不思議な感覚の世界です。
私も 「諸手を挙げて賛成」 というわけでは、決してないのですが、かなり気になる世界です。
投稿: tak | 2007年3月28日 10:39