「ボランティア」 を必修化だって?
学校の授業で、「ボランティア活動」を必修化する動きが進んでいるそうだ。おいおい、それっておかしいだろう。「ボランティア」は「自発的」という意味なんだから、それを必修にするというのは、少なくとも教育的じゃない。
ただ、「奉仕活動」とかいうのなら、私はまんざら反対じゃない。
私は肉体労働が案外好きである。学生時代は、学習塾の講師なんてバイトもやったが、ほとんどは肉体労働だった。ちまちました塾の講師とか、カテーキョなんてのより、肉体労働の方がずっと楽しい。
その中でも清掃関連は、悪いモンじゃなかった。汗を流しているうちに受け持ち区域がすっかりきれいになるというのは、結構気持ちのいいものである。
それから農業関連も悪くない。田植えはやったことがないが、稲刈り、雑草刈りなど、都会で育った子には、かなりカタルシス的体験になるんじゃなかろうか。どんどんやってみたらいい。私が高校生ぐらいだったら、結構楽しみにしちゃうんじゃないかと思う。
私は高校時代、授業をさぼりまくっていたが、多分、奉仕活動とかだったら、さぼらずに皆出席しちゃうだろう。だって、楽しそうじゃないか。
ただ、私みたいに奉仕活動を楽しんじゃうことのできる子ばかりとも限らない。世の中には、人より余計に汗を流したら一生の損みたいに考えている子もいるから、複雑である。こうした子に「必修科目だからやれ!」 と強制したら、きっといろいろゴタクを並べて嫌がるに違いない。
奉仕の楽しさを知る前に、理屈をこねるゴネ得を知ってしまうというのは、教育の本意ではなかろう。
そもそも学校での奉仕活動の必修化は、平成 12年に文部科学省で検討された際に、内閣法制局が「苦役からの自由」を定めた憲法 18条に違反する疑いがあると指摘して、ウヤムヤになってしまったという経緯がある。
私はあの時、「おいおい、ちょっとした奉仕活動が『苦役』かよ?」 と呆れてしまったことを覚えているが、まあ確かに「苦役」と受け取る層もないわけじゃないんだろうなあ。そう受け取るというのは、個人的にはかなり不幸なことだと思うけど。
それでも、「不幸な子」をより不幸にしないためにも、やはり少しは慎重に運用しなければならないだろう。そのためにも、「強制」というニュアンスは避けた方がいい。強制された奉仕活動というのは、少なくとも上品じゃない。てことは、教育的でもない。
それから、極端な汚れ仕事も考え物だろう。私なんか、家畜の糞を使った堆肥作りとか、便所掃除なんて、破れかぶれになれば、結構やけくそ的に楽しいものだということを知っているけれど、今の世の中では、そう感じられる子は少数派だろう。これも不幸なことだが。
「強制」を避けつつ、それでも楽しんじゃおうという雰囲気が作れればいいんだけれど、これが最も難しいところだ。とにかく、センスのある奉仕活動をプログラミングしてくれるコーディネーターに登場してもらいたい。
それから、こうした奉仕活動を必修化してもズルしてまともに働かない子というのも必ず出てくる。こうした子は、「奉仕」を学ぶべき授業の中で「要領」を学んじゃうんだろうなあ。これも長い目で見たら不幸なことだと思うけど。
まあ、とにかく「必修科目としての奉仕活動」というのは、運用が難しいということだ。当初の何年かは、試行錯誤が必要だろう。
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コメント
こんにちは。以前“「なんで怒ってるの?」~”のトピックを書いていただいてありがとうございます。
ボランティアとは言わなくても実習を教育の一環として活用しようという考えはよくありますね(貼らせてもらったコラムのように)。
私は酪農業に従事しております。毎年夏になると関係学部の大学生が数週間の実習で各農場に通常は一人でやってきます。彼らは意欲的でよくがんばってくれます。ただし、同じ年頃の人たちでも視察など複数で一斉に訪れてくる人たちにそのような熱を感じたことはありません。加えて、農業生産者の端くれとして、農業=自然などとは言いませんが、生産環境(牛、畑、草など)へ人間の活動が与えるインパクトの大きさを感じ取ってくれないというのは悲しいものです。
ポイントがそれてしまいましたが、要は、生産活動と都市の清掃のような刑事罰にもなりうる活動とを同列と見ないで頂きたいわけです。
やる気のない都市の集団を“自然”と触れさせたいのならば、レジャーなどで荒らされた山、川や海の回復作業をさせるほうがよほど“自然”に近いのではないのでしょうか。
以上、片田舎の男より。
投稿: とも | 2007年3月27日 11:32
とも さん:
>生産活動と都市の清掃のような刑事罰にもなりうる活動とを同列と見ないで頂きたいわけです。
お気持ちはよくわかりますが、ちょっとあぶない点もあるご発言だと思いますよ。
清掃は確かに生産活動ではないかもしれませんが、重要な意味のある仕事であり、優劣を付けるわけにはいかないと思います。
それは別として、酪農現場としては、団体でどっと押し寄せて、ただ通り過ぎていくだけの「奉仕活動」なんてことに付き合わされるのはかなわんというお気持ちは、理解できます。
大切なのは 「シンパシー」 であり、ただ、必修だからと言って、アリバイ作りのように参加してみせるだけというのでは、教育効果があるかどうか、疑問です。
受け入れる側にも迷惑なだけでしょうしね。
投稿: tak | 2007年3月27日 22:36
欧州の奉仕活動は、キリスト教が土台にあると思います。
キリスト教精神が基本的にない日本で「奉仕」というものを根付かせるのは、なかなか難しいことかも知れません。
投稿: alex99 | 2007年3月28日 01:06
alex99 さん:
日本では、広い意味の 「お布施」 なんだと思います。
あるいは、「恵み」 に対する 「お返し」 かな。
投稿: tak | 2007年3月28日 01:47
たびたび失礼いたします。時間が経って自分の投稿文を読み直してみるとすごく嫌な奴の屁理屈のように感じて恥ずかしいです。決して衛生業を蔑もうなど思っておらず、むしろ“よい酪農家は牛舎も牛もきれいで片付いている”というある農家さんの格言を信じていますから不可欠なものだと考えています。ただ、私の稚拙な文章が誤解を招いただけです。申し訳ありませんでした。
投稿: とも | 2007年3月29日 10:08
とも さん:
気持ちは伝わってますから、大丈夫ですよ。
投稿: tak | 2007年3月29日 11:54