「読み逃げ禁止」と「いじめ」
IT Media News の "「mixi 読み逃げ」 ってダメなの?" という記事が、期せずして大ヒットになっている。
ここでは「読み逃げ」そのものよりも、この記事が衆目の関心を引いてしまうことの底流に注目してみたい。春は眠くって、アタマ鈍って、多分尻切れトンボになりそうだけど。
mixi に限らず、「読み逃げ禁止」とか「素通り禁止」とかいうのは、「足あと」の残される日記サイト(「楽天」とか)では、以前からあって、そういうのは、ハッキリ言って馬鹿扱いされていた。
要するに、ネット・リテラシーの未熟さの現われでしかないというところがあって、ガキっぽい言い草にすぎないんだと、フツーは思われている。
で、そう思われているはずだったのに、件の記事が改めて注目されちゃっているというのは、一体どういうことなんだ? ということなのである。何となく、心の琴線に触れるところがあるんじゃあるまいか。
これって、「私は、友達のサイトを訪問したら、必ず何かコメント書き込むのに。そして、自分のサイトに書き込みがあったら、必ずレスするのに。こんなにも友達に気を使ってるのに、どうして、それをわかってくれない人がいるの?」ということなのだろうね。
「私は、私たちは、ちゃんとやってるのに、ちゃんとやってくれない人がいる」
この心理は、mixi という場ではなんとなくマゾヒスティックに機能してしまっているけれど、結局は攻撃性の裏返しだ。そして、例えば、この心的傾向が学校なんかで機能してしまうとどうなるか。それは多分、「いじめ」ということになるんじゃないかと思うのだ。
「読み逃げ禁止」と「いじめ」って、多分、同じ根っこから生じていると思う。自分のストレスを他人に投影して、悩んで見せたり、いじめて見せたりしているのだ。自分の心の制御が効かなくなっているために。
集団の中で、「自分は正しくありたい」と思う心的傾向が、ゆがんで現われるとこうなってしまう。こう言っちゃなんだけど、「読み逃げ」されてことさらにどうのこうの言うのって、「いじめ」に荷担するココロネと近い気がする。
正しくないと、攻撃されてしまうから、正しくなければいけない。自分の正しさを証明するためには、正しくない存在を攻撃しなければならない。攻撃できない場合は、ことさらに悩んで見せなければならない。
かくして、「正しくありたい」というコンプレックスが、ちっとも「正しくない」行動につながる。ああ、眠い。めっちゃ中途半端だけれど、今日はここまで。
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コメント
小学生のボランティア活動を成績に反映するっていうのと似てる気がしました。
自発的にボランティアをする自由はあるけど、実はやらない自由はないみたいな。
フランス革命時の「博愛(友愛)」もそんな感じで、正しい人は当然賛同するだろう、反対派は粛清するといったふうな押し付けだったようですね。
なんだかどんどんそういう人が増えてる気がします。
投稿: fb | 2007年3月23日 05:58
fb さん:
「ボランティア」を必修にするということ自体、言葉の意味を裏切っているので、教育的じゃないですね。
どうしてもやりたかったら、「奉仕活動」とか言うべきです。
で、強制された奉仕活動って、あまり上品なものじゃありませんね。
投稿: tak | 2007年3月23日 09:55