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2007年3月22日

翻訳の難しいアメリカ小説

村上春樹訳による 「ロング・グッドバイ」 が出たんだそうだ。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 「グレート・ギャッツビー」 に続くアメリカ小説翻訳の第三弾ということになる。(この点については、最後の 「追記」 参照)

私は 「ギャッツビー」 の原書は読んでないが、「ライ麦畑」 と 「ロング・グッドバイ」 は、たまたまペーパーバックで読んでいる。

書棚の中から、この 2冊はすぐに見つかった。「ライ麦畑」の表紙は、赤茶色にタイトルと著者名だけという超シンプルなデザインだが、「ロング・グッドバイ」 は、かの有名なカクテル、ギムレットがフィーチャーされてスタイリッシュ。両方の著者のキャラがよく出ている。

この 2冊は、23~4歳の頃に相前後して読んでいる。30年も前のペーパーバックが、書棚からすぐに見つけ出せるというのは、あれから何度も繰り返し読んでいるからだ。もちろん、通しで読み返すのではなく、部分的にだが。

「ライ麦畑」 の方は、とても読みやすい。読みやすすぎて、翻訳するのは大変だ。どう訳しても、原書の雰囲気からは離れてしまう。主人公である 16歳のホールデン・コールフィールド少年のキャラは、日本語にした途端に裏切られてしまう。

それは、このペーパーバックの表紙に、何の画像も使われていないのと同じことだと思うのだ。何らかの画像を使った途端に、それはホールデン少年のイメージを裏切ってしまう。

だから、私は野崎孝訳は何だか違うと思ったし、村上訳も「やっぱりね」という感じだった。この小説は、申し訳ないけど、英語で読むのが一番だ。

で、今度の「ロング・グッドバイ」である。これは、ちょっと読みにくい。同じスラング満載でも、「ライ麦畑」は何となくわかるが、チャンドラーの世界はかなりペダンティックなので、わからないと、さっぱりわからない。

それでも(あるいは、「それだけに」かな?)、日本語にはしやすいと思う。ホールデン君のあまりに直截的な物言いに比べて、チャンドラーの言葉にはある程度のクッションがあるからだ。

そういえば、以前、杉浦日向子さんが亡くなったとき、彼女の有名な「にじよじ」という世界のアメリカ版として、「ロング・グッドバイ」の中の一節を翻訳してとりあげたことがあった (参照)。

俺は夕方前に店を開けたばかりのバーが好きだ。店の中の空気はまだ涼しくて清潔だし、すべてが輝いている。バーテンダーは鏡を覗いて、ネクタイが真っ直ぐで、髪の毛がきちんとしているかどうか確かめている。俺は、カウンターの奥の小ぎれいなボトルと光沢のあるグラスを眺めながら、これから始まる時間について考えるのが好きだ。バーテンダーがその日の最初のカクテルを作ってパリッとしたマットに置き、小さく折ったナプキンを添えるのを見るのが好きだ。そして、それをゆっくりと味わう。静かなバーの夕刻の、最初の静かな一杯 − 素晴らしいじゃないか。

ありゃりゃ、我ながらベタすぎる翻訳だなあ。直訳すぎるし。清水訳なんか、多分かなり意訳してスタイリッシュにこなしてるんだろうと思う。この部分、村上訳ではどうなってるんだろう。

蛇足だが、「にじよじ」 のキーワードでググると、私のどうでもいいエントリーが 494,000件中のトップにランクされている(参照)ことを、たった今、知った。なんとも畏れ多いことである。(Google の検索結果より直接的な固定リンクは、こちら なのだが)

【追記】

「ロング・グッドバイ」 が村上春樹のアメリカ小説翻訳第三弾というのは単行本ベースで言ったつもりだったのだが (彼はそのほかにも尋常じゃないほどの数の翻訳を雑誌で発表しているので)、単行本でも、まだまだあったようだ。だから、第三弾というのは、間違いです。ごめんなさい。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

 

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コメント

「ライ麦」は読んでいません。
なんでも青春時代でないと読むに耐えない小説だという説がありますが、本当ですか?

昔、早川書房から「マンハント」という「はーどぼいるど」専門の月刊誌が出ていて、とてもエッチなヌード写真が掲載されていて、それがいやで??創刊号から廃刊まで読んでいました。

田中小実昌先生の翻訳文は、くだけてて、粋でしたね~。
もうあんな人は現れないな~。

「にじよじ」を教えていただいて、日記にも使わせていただきました。
あれから、自宅で「にじよじ」をするようになって、身体をこわしました。
責任、取ってください。(笑)

投稿: alex99 | 2007年3月22日 02:13

alex さん:

>「ライ麦」は読んでいません。
>なんでも青春時代でないと読むに耐えない小説だという説がありますが、本当ですか?

はっきり言って、青春時代でも読むに耐えないです。
私は大昔に、3ページ読んで投げ出しました。

ところが、英語だと最後まで読めました。
そういう意味で、日本語に訳しようがない小説だと思っているわけです。

無理やり日本語にすると、「赤頭巾ちゃん気をつけて」になると思います。

自宅でにじよじすると、四時では済まなくなりますからね ^^;)

投稿: tak | 2007年3月22日 11:01

「村上春樹のアメリカ小説翻訳第三弾」というのは、追記されているとおり間違いなんですが、そう書いてしまう気分は分かります(笑) 私も、他にも彼の訳した米国文学をいくつか読んでいるにもかかわらず、さらっと読み流してしまいました。

「すでに古典的な和訳が出ている有名な作品の村上新訳」として第三弾、かなぁ。

投稿: 山辺響 | 2007年3月22日 17:06

山辺響 さん:

>「すでに古典的な和訳が出ている有名な作品の村上新訳」として第三弾、かなぁ。

ナイス・フォロー、ありがとうございます。
つい、第三弾と思っちゃいますね。

彼はレイモンド・カーヴァーをずいぶん訳してますね。

投稿: tak | 2007年3月22日 20:23

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