人間如何に死すべきか
国立社会保障・人口問題研究所というところのウェブサイトがあって、そのトップページでは、人口ピラミッドの推移 (1930年~2055年) を、GIF アニメで見せてくれている (参照)。
で、より詳細に、例えば 今から 32年後となる 2040年の推計値というのをご覧いただきたい (参照)。愕然としないだろうか。
とにかく、32年後の日本では、60歳から 80歳ぐらいまでの年齢層が圧倒的ボリュームになる。男より長生きする女性だけをとってみると、なんと、80歳から 94歳までの年齢層が、35歳から 50歳までの年齢層とほぼ同じぐらいで、20歳から 35歳までの人口よりは確実に多くなりそうなのだ。
本当に、じいさんとばあさんばっかりの世の中になってしまうのである。
2040年というと、私はもし生きていれば 88歳になっているはずだ。今日現在、血圧もコレステロールも正常で持病もなく、ぴんぴんしているので、そのくらいまで生きる可能性はかなり高い。
ボケもせずにこのブログを毎日更新し続ければ、1万1千日以上の連続更新になる。もし、そんなことができるほどに、健康を維持し続けることができれば、それほど問題はない。しかし、それが困難なほどに健康を害しているとしたら、私は無理に治療してまで生き延びようとは、まったく思わない。
最近の医学の進歩は大したもので、遺伝子レベルでの操作を行って、たいがいの病気は治してしまったり、臓器を移植したり人工臓器を埋め込んだり、果ては ES 細胞 (胚性幹細胞) とやらで、自前の遺伝子で臓器を再生させたりすることまで可能になるらしい。
だが、人はそんなことしてまで生き延びたいのかと、私は疑問に思う。少なくとも私は、自然の寿命が尽きたらフツーに死にたいと思う。それが寿命だというなら、来年か再来年だったとしても、それはそれであきらめがつくだろう。
「長生きするのがいいことだ」という価値観は、このあたりでちょっと修正しなければならない時期が来たと思う。人間が 50歳とか 60歳とかで死んでいた時代には、百まで生きたら、それは大変なおめでたいことだった。
ところが、人間がフツーに百まで生きるようになってしまったら、そりゃ、あまりめでたいことじゃないだろう。日本人の半分以上がおぼつかない足元で、入れ歯をカクカクさせて生きている図は、あまり想像したくない。
医学は近い将来、人間をより長生きさせるためにあるのではなく、寿命を自然に全うさせるためにあるというように、目的を変えなければならない時代がくるのではないかと思うのである。
人間の体細胞が自然に新陳代謝を繰り返さなければ、健康を維持できないように、人類全体としても、自然の新陳代謝がなければ、種としての健康を維持できないだろう。個々人が長く生きりゃいいってもんじゃない。
医療が「余計なお世話」になる時代が、迫りつつある。そうした時代においては、「どうか、フツーに死なせておくれ」というのが、人間の大きな願いになる。
一昔前は「人間如何に生きるべきか」が重要な哲学だったが、今や「如何に死すべきか」が、切実なテーマになりつつある。
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