医者嫌いの心情
昨日、私は 「我が家では、私の親の代から全員医者嫌い」 と書いた。「親の代から」というにはわけがある。というのは、死んだ祖母は大の医者好きだったのだ。
それも、並みの医者好きではない。本当の病気で寝たきりになるまで、休診日以外は毎日欠かさず医者に通っていたのだ。
小咄に、病院の待合室で病気自慢の年寄りたちが世間話をしていて、「そう言えば、○○さん、最近見えませんねぇ」「あの人、最近は具合が悪くて、病院に来れないんだそうですよ」というのがあるが、笑い話でなく本当にそうだったのだ。
とにかく、無病息災が嫌いで、病気でなければ気の済まない人だったのである。医者に 「どこも悪くないから、今日は注射は必要ない」と言われても、「いぃや、苦しくてしょうがないから、注射を打ってもらわないうちは家に帰れない」と、我がままを言い張る人だった。
普通に考えたら、苦しくてしょうがないはずの年寄りが、雨が降ろうと風が吹こうと、自分の足で 20分もスタスタ歩いて医者に通えるはずがないのだが、当人は「苦しくて仕方がない」と言い張るのである。
それで医者も仕方がないから、適当な注射をしてお引き取り願っていた。そのせいで後に本当に寝込んでからは、何を処方しても効かない体になってしまっていたのだが。
ある日、風邪を引いたようだと言って熱を計った祖母は、5分経って脇の下から取り出した体温計の目盛りを見てがっかりした。36度しかなかったからである。普通だったら平熱と知って安心するところだが、そうならないところが祖母のすごいところである。
「この体温計は壊れているから、隣から体温計を借りてきてくれ」というのである。さすがにあまり馬鹿馬鹿しいので、家族全員、断固として拒否したが。
このブログで、私は歯ごたえのある食べ物が好きだと何度か書いた。実際、舌の上でとろけるような大トロとか霜降りのステーキなんかは、病人じゃあるまいし、食いたくないと思っている。
それは、自分が中学生時代、共働きだった両親に代わって、超柔らかなものしか口にしない祖母のために、毎日、糊になる一歩手前のお粥とか、どろどろになる直前のうどんとかを作ってやっていたことによるトラウマのようなものなのだ。
つまり、私は「医者嫌い」というより、「自分が病気であると思うこと」を断固として拒否する心情を、身近に祖母を見ていて自然に育んでしまったのである。それは我が家の祖母以外の全員に共通した心情で、写真でしか祖母を知らない私の娘たちにまで、なぜか連綿として引き継がれている。
「病は気から」というのは逆もまた真なりで、病を拒否してしまえば、病気との縁も薄くなる。おかげで、我が家はあまり医者にかかることもなく健康なのだから、今では祖母に妙な意味で感謝してもいる。
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