亡き母への 「母の日プレゼント」
母の葬儀が 13日に終わり、翌日の月曜日に玄関で片付けものをしていると、宅急便が届いた。「13日の母の日の配達指定でしたが、昨日はお留守だったもので」 という。
包装紙に "Mother's Day" のリボンが付けられている。妹が大分前から手配しておいたプレゼントのパジャマが届いたのだった。
そうか、母の葬儀の日は、「母の日」 でもあったのだと、その時、気が付いた。
家の中で掃除をしていた妹に、「お前と同じ名前の人から、母の日プレゼントが届いたよ」 と言うと、彼女は一瞬絶句して、「早めに手配すると送料無料のキャンペーンだったから、大分前に予約しておいたんだった」と、改めて悲しそうな顔をする。
私と妻からの母の日プレゼントは、鉢植えの花を手配しておいたが、直前にキャンセルが間に合った。妹のプレゼントは手配したのが大分前のことだっただけに、キャンセルし忘れていたようだ。
ずっと寝たきりの母へのプレゼントなので、パジャマを選んだのだろうが、今やそれを着る体がなくなって、骨壺に収まってしまった。父は、「もう、お前が自分で着るしかないね」 と言う。
思えばこれから先、何年かに一度は、母の命日と母の日とが重なることになるだろう。ちょっと複雑な気持ちである。
とにかく 3日間浮き世と隔絶した暮らしで、ニュースなども全然知らず、浦島太郎みたいになってしまったので、「今日の一撃」にふさわしいネタが何もない。それで、こんな話を書かせてもらった。
ここから先は、今日も、「和歌ログ」からの再録。しかし、今日は部分的なコピー & ペーストに止めさせていただこう。それだけ、気を取り直してきているということである。
葬儀に参列してくれた多くの人が、「死んでしまったような気がしない」「あの笑顔で、今にも語りかけてくれそうな気がする」と言ってくれた。そう言ってもらえる間は、まだ 「亡くなって」いるのではない。生きているのだと思える。
思えば、人は、最後には自分以外の人たちの心の中で生きるのである。それだけに、生きているうちに周囲の人を大切にしなければならないなどと、殊勝なことを思ったりする。
そして、母は巧まずして自然にそれをしていたのだなと、感心する。
皐月十三日の歌
人てふは死なぬものなり縁ありし人の心に生き続くれば
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コメント
拓さん、ご愁傷様です。しばらくゆっくりされたら良いですよ。毎日書き込むことは義務ではないですし、気持ちの整理がついたところで再開されてはどうですか。どうしても書かないと落ち着かないのであれば、1行だけでも良いのではないでしょうか。書き込みを楽しみにしてはいるけど、無理してまで書いていただくのは申し訳ない気がする。
投稿: バードマン | 2007年5月15日 21:29
バードマン さん:
お気遣い、ありがとうございます。
なんだか、もう習慣になってしまっていて、何も書かない方が落ち着かない感じなんですよね。
肉体的な疲れがまだ取れていないというか、逆に、今頃になって初めてまともに感じたというか、ちょっとぐったり感がありますが、精神的にはかなり落ち着いて来ましたので、もう大丈夫だと思います。
あまりいつまでも、しんみりしてもいられないし。
投稿: tak | 2007年5月16日 20:56
なんとも複雑な「母の日」とってもよ~く解ります。
これからドンドンと静かにお母さまの事をアレコレと
思い出してあげるのが一番の供養になるのでは無いかと
考えます。ニコニコと笑って周りの人を幸せな
気持ちにさせてはった素敵なお母さま、takさんも
ご家族も、ほんまにお幸せでしたね。合掌。
投稿: 萌野 | 2007年5月24日 20:15
萌野 さん:
いやぁ、私がしゃしゃり出るまでもなく、女学校時代の友達が毎週来てはお線香を上げて、ついでに、ウチの母があの時はどうだったとか、この時はこうだったとか、いつまでも昔話に花を咲かせてくれてるそうですから (毎週同窓会か?)、 ものすごくいい供養ができてるみたいです。
もしかしたら、父の出る幕もないかも ^^;)
あの年代の女性というのは、いつまでも女学生なんだなあと思うことがあります。
投稿: tak | 2007年5月25日 00:47