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2007年5月 9日

霧は痒いのだ

昨日の朝、珍しく都心に霧がたちこめたそうだ。私が都心に出たのは午前 9時半頃だったから、もう消えかけていたが、8時前頃はかなりの濃霧だったらしい。

ここ 10年間の東京の霧発生日数は、年平均で 1.8日しかないそうだが、1945~50年頃は、30~40日も霧が発生していた(参照)。

なにしろ、「東京の灯よいつまでも」 という大昔の歌謡曲があって、その出だしの歌詞が 「雨の外苑 夜霧の日比谷」というのである。ちょっと調べてみたら、昭和 39年、つまり東京オリンピックの年のヒット曲だったようだ (参照

ということは、東京オリンピックの年あたりまでは、歌に歌われるほどに、東京都心の日比谷あたりでも霧がしょっちゅう発生していたようなのである。まあ、サンフランシスコほどではないだろうけれど。

東京の霧の発生が極端に減ったのは、1970年代を境にしている。私は昭和 46年 (1971年) に大学入学で上京したが、確かに東京で霧なんかほとんど見たことがない。それどころか、今住んでいるつくばの里に越してくるまで、霧なんてまともにみたことがなかった。

東京での霧の発生が激減したのは、温暖化、都市化現象のためとみられている。樹木伐採、ビル建設、道路の舗装などで裸地が減少し、地表からの水蒸気の蒸発が減り、その結果、霧が発生しなくなったと言われている。

一方、私の生まれた山形県庄内地方は、自然環境は豊かなのだが、何しろ年中風が強いので、霧なんか滅多に出ないのである。いや、出たとしても、すぐに吹き飛んでしまうのだ。その代わり、地吹雪で見通しがきかなくなることはしょっちゅうだが。

ところが、昭和 57年に、このつくばの地に越してきて、驚いた。年中濃霧が発生するのである。夏の朝、とっくに日は昇っているはずなのに、霧で見通しがきかないために、車のライトを点けて、歩くようなスピードで行くことが度々あるのだ。つまり、この地は風が穏やかで、自然が豊かということなのだろう。

ちなみに、霧が発生するには、空気中に霧の核となる微粒子が多数存在しなければならない。芥子粒ほどの塵とか、煤とか、そんなものである。それに水蒸気がひっついて、凝結して霧になる。

そのせいだろう。霧の中をバイクで走ると(フルフェイスのヘルメットでは大丈夫かもしれないが)、顔がものすごく痒くなる。霧の核となっている微粒子が、毛穴の奥まで入り込んでしまうようなのだ。だから、なまじの洗顔ではこの痒みはなかなか取れない。

東京オリンピックの頃、夜霧の日比谷公園で愛をささやき合っていた恋人たちも、もしかしたら、ほっぺたをぽりぽり掻いたりしていたのだろうか。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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