言葉をきちんと届かせるには
昨日、久しぶりで電車の中の話し声が 「癇に障る」 タイプの女性がいた。決して大声で話しているわけじゃないのだが、その声が妙に周囲に小うるさく感じられるのだ。
こういうタイプの人というのは、自分の話している相手に言葉が「ストン」と伝わるのではなく、無駄に拡散してしまっているのである。
その女性は連れの男(多分、職場の親しい同僚)と、仕事関係の話をしているのだが、「ああ、それはそうね。確かにそうね」とか、「ふぅん、そうなんだ」とかいう相づちのほか、「うーん、それはちょっと違うんじゃないかな」とか、単純なことを言うだけなのに、無駄に周りに聞かせるような声の出し方をするのだ。
それは決してことさらな大声というのではないが、不思議なほど周囲に無駄に響いて、小うるさいのである。
『ことばが劈(ひら)かれるとき』 という本の著者で、演劇を通じて障害児その他の教育活動にも関わっておられる竹内敏晴氏のメソッドに、「声を相手に届かせる」という訓練がある。
発する言葉が、目指す相手の胸に「ストン」と伝わらないというのには、大きく 2種類あって、それは距離と方向の問題だ。
距離の問題は、単にパワー不足で相手に届かない場合と、力みすぎて相手を通り越してしまい、その向こうに話しかけてしまっている場合がある。これらは力の配分で案外単純に修正できるのだが、決定的に難しいのは「方向性の意識」が欠如している場合だ。
竹内氏のメソッドを経験してみると如実にわかるのだが、声というものには、方向性(ディレクション)があるのである。それを心と体でコントロールできるのだ。
自分の話しかけている相手に、きちんと声のディレクションを集約して届けられる人と、ばらけてしまう人がいる。声がばらけてしまうのは、要するに、心が相手にきちんと向かい合っていないからなのだ。そしてそれを当人が全然意識していない場合が多い。
こんなタイプの人と話をすると、何となくきちんと通じ合っていないんじゃないかという不安を感じる。相手の発する声が、上の空のような感覚だからだ。
そうした人は多分、一見すると直接の相手と会話をしているようだが、実は、むしろその周囲に向かって、「ねぇ、お願い、みんな、わかって、私をわかって!」 と、無意識的に訴えているのである。対象を見る意識が拡散してしまっているので、発する声まで拡散してしまう。
「私をわかって!」と訴える声は、しかし実際は単に癇に障るだけだから、誰にも永遠にわかってもらえることはない。一種の悲劇である。自分を本当にわかってもらうためには、直接話している相手に、きちんと言葉を届かせるほかないのである。
そして、世の中にはそれができない人がいる。言葉による単純なコミュニケーションでも、本当に心を通い合わせるためには、意識的な心と体の訓練が必要なのだ。
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