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2007年5月 6日

人間のディスプレイ行動

私は「つくばみらい市」という、れっきとした「市」に住んでいるのだが、家は住宅地と農地との境界線に近いところにあって、かなりというか、とことん「のどか」である。

で、今の季節、昼はヒバリのひっきりなしにさえずる声、そして、夕方以後は蛙の大合唱が聞こえてくる。

これだけひっきりなしに動物の鳴き声が聞こえてくると、うるさくて気に障っても不思議ではないが、実際にはあまりうるさいとは感じない。聞こうと思えば聞こえるが、気にしなければ聞こえないという音になっている。

とくに蛙の鳴き声は、いわばクラシック音楽の通低音みたいなもので、本当に気に障らない。しかしヒバリの鳴き声は、何かの拍子に気にし始めたら、ちょっとうるさく感じても不思議じゃないようなレベルである。

絶え間なくさえずりながら必死に羽ばたいて上昇するヒバリを、俳句の世界では「揚雲雀」と言って、春の季語になっている。私はヒバリが空中を上昇するためにあんなに必死に羽を動かしているのに、その上、あんなに鳴き続けていたら、エネルギー効率がさぞ悪かろうにと、つい最近まで思っていた。

ただでさえ、ほかの鳥よりも飛ぶのが不器用そうで、必死に羽ばたかなければ上昇できないくせに、なんでまた、あんなに声まで出し続けなければならないのかと。

しかし、あれはヒバリにとっては縄張りを主張する「ディスプレイ行動」なのだと最近知って納得した。なるほど、それならば単に飛び上がるだけでは足りなくて、うるさいぐらいの鳴き声だって動員して、自己主張しなければならないだろう。

で、ここまで考えて、私は自分が 4日前に書いたエントリーを思い出した。電車の中で、自分の言葉を不必要なまでに周囲に聞かせつけるような、小うるさい話し方をする人種の話である。

私は、こうした小うるさい話し方をするタイプの潜在意識の中に、「ねぇ、お願い、みんな、わかって、私をわかって!」という欲求があるのではないかと推論した。なるほど、あれもまた、ヒバリの絶え間ない鳴き声と同様に、「ディスプレイ行動」だったのだ。

でも、あまり電車の中なんかでディスプレイ行動なんて、しないでもらいたい。単純にうるさいから。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

clarkです。失礼します。
長い間思っていたのですが、ご近所トラブルから戦争まで多くのトラブルが人間の縄張り意識から来ている気がします。
縄張りをディスプレイするためなら(もう一つは恋愛のためでしょうか)、どんな非合理なことも辞さなくなる人間のサガがある気がするのです。

飛躍(脱線)しすぎでしょうか?^^;

投稿: clark | 2007年5月 6日 01:28

clark さん:

>長い間思っていたのですが、ご近所トラブルから戦争まで多くのトラブルが人間の縄張り意識から来ている気がします。

要するに「我を張る」ことですよね。
「無我の人」って、滅多にいませんが、希に出会うと魅力的です。

投稿: tak | 2007年5月 6日 08:31

「無我の人」、まだあった事ないかもしれません^^;
普段、無私無欲で利己心の無い人格者にみえても、縄張りを侵食される行為に対しては、現実的な損得を無視して急にヒステリックになる事ってありますよね。

重ねてのコメントで失礼しました。

投稿: clark | 2007年5月 6日 15:05

私には無欲の知り合いがいます。幸運なことです。
無欲な人は、縄張り侵害なんて事態には遭わなくてすんでるみたいです。
なにしろ、縄張り意識もないみたいなので。
このことだけで、尊敬に値します。

投稿: tak | 2007年5月 7日 23:55

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