大学生の国語力の低下というより……
大学生の国語力低下が話題だ。「骨が折れる仕事」を「骨折する仕事」と勘違いした女子大生の話まで紹介されている。(参照)
柔道の山下さんの同様の勘違いは、「実直な人柄を伺わせた」で済んだのに、女子大生になると、とたんに「亡国の民」扱いになってしまうのはちょっと気の毒だ。
今回のニュースでは、社交性などを診断する性格検査の際、「骨が折れる仕事は嫌です」という項目に対して、女子学生が「『骨折する仕事』 が嫌なのは当たり前」と言い出したことが紹介されている。
しかしこんなのは今に始まったことじゃない。憶えておいでの方も多いと思うが、あの柔道の山下泰裕氏は、かつて皇居の園遊会に招かれた際に、昭和天皇から「骨が折れますか」と尋ねられ、「はい、昨年骨折しました」と答えて周囲の笑いを誘った。
このエピソードは有名だが、一般には「いかにも実直な人柄を表した逸話」という位置づけになっている。ところが同じ勘違いを女子大生がしてしまうと、とたんにバカ娘呼ばわりに近い扱いである。かなりバイアスがきつい。
この程度の勘違いをする人は、昔からいた。いくらでもいた。今に始まったことじゃないのである。ただ、昔は、こんな勘違いをするような連中まで大学に入ることは、そんなにはなかったというだけのことだ。
大学生の国語力が低下しているのではなく、国語力のない連中まで大学にはいるようになったというだけのことだ。立川談志が、「女子大生が売春してるんじゃなくて、売春婦が大学に行く時代になっただけ」と喝破したようなものなのかもしれない。
ありゃりゃ、女子大生を弁護するつもりだったのに、おかしな方向に逸れてしまった。私自身は、談志師匠と同じ見解というわけではないので、よろしく。
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コメント
そもそも「大変な」とか「苦労の多い」という意味での「骨が折れる」という表現が死語になりつつあるんですかね。
投稿: 山辺響 | 2007年5月 3日 09:46
立川談志って、世情に疎いんですね。
もしくは、本質を捉えずに適当な話をするやつなのか。
生活のためにそれこそ「骨の折れる」(特に精神的に)仕事をあえてしている、
旧概念の「売春婦」は明らかに、そして壊滅的に減少しているでしょう。
一方で、「女子大生」に象徴される普遍的カテゴリの階層において、
性モラルが従前より極端に低下していることは歴然たる事実で、
自分の実感は、圧倒的に「女子大生が売春婦」つまり、普遍的階層の一般人による、
売春婦的行動様式と言えるような現象が、近年顕著に増加しています。
ちなみにこれは、見聞ではなく、自らの体験による実感ですwww
でもホストという巨大風俗嬢製造工場によって、「カレシwを助けたい」
とする客の風俗嬢・AV嬢化というのを、旧概念の売春婦と同義とするなら、
まあ「風俗嬢が女子大生」もあながち間違いではないかもしれませんが。
でも、いいんじゃないでしょうか。もともと日本は性モラルが大変おおらかな国。
過去風呂は混浴が当たり前、夜這いなんて風習も公然と存在していた。
むしろ近年の性モラルの高まりこそ、明治維新以降広まった、
キリスト教的価値観の輸入による、日本人の本性と異なる風習だったと思います。
そして、既にそのような価値観は低下の一途をたどり、
今や世界一の性風俗国家日本(日テレによる)。
そしてキャバクラ・クラブ・ホストも含めた、風俗産業の市場規模は、
2位を数倍引き離す規模の、世界で圧倒的一位なんじゃないでしょうか。
明治維新以降の西洋化によって、日本人に馴染まない風習が輸入され、
そして今ようやくそのような呪縛から日本人が開放され始めているだけだと、
自分には思える次第です。
それはそれとして、大学生に上記の如き奴が発生するのは、
上の方もおっしゃるように、「骨の折れる」が死語になりつつあるというのが、
一番説得力があるような。
やはり「正確な日本語を使う意味」は、どんどん低下している、
という別項における自分の説は、正しいような気がますますしてきました。
投稿: 的得 | 2007年5月 3日 13:13
山辺響 さん:
>そもそも「大変な」とか「苦労の多い」という意味での「骨が折れる」という表現が死語になりつつあるんですかね。
私自身は、「骨折り仕事」 という言葉を割とよく使いますが、何となく、英語の "backbreaking work" の訳語として使っているような気がします。
「骨が折れる仕事」 という使い方は、確かに、十年に一度も使わないかもしれません。
投稿: tak | 2007年5月 3日 22:25
的得 さん:
江戸時代までの日本の性モラルがおおらかで、明治維新以後にキリスト教価値観の輸入によっておおらかでなくなったというのは、「そうとも言えるし、そうとも言い切れない」というところだと思いますよ。
むしろ、武家社会を中心に行き渡っていた「男女七歳にして席を同じうせず」という儒教道徳が、妙に俗っぽく一般化したと捉える方が自然かも。
投稿: tak | 2007年5月 3日 22:37
言葉の話題のところにばいしゅんが出ていて、ちょっととまどっているsatoでやんす。すみません、コメントはトラバにてわたしのブログに書きました。
投稿: sato | 2007年5月 4日 01:19
sato さん:
とまどわせちゃって、ごめんなさい。
レスは、そちらのブログで。
投稿: tak | 2007年5月 4日 08:33
なるほど。
日本て過去、武家社会とその他民衆とでは、ダブルスタンダード社会だったという。
発生源の違いが面白いですね、宗教は上から下まで全てを対象にするから、
欧米wではキリスト教的道徳観の一元的価値観が醸成され、
一方日本では儒教という教育発の思想を背景とした道徳観は、
教育が行き渡らない時代は、教育を受けるものと受けないものとで、
あたかも「儒教デバイド」が発生していた、というわけですね。
日本の神事はやたら卑猥なものが多く、また祭りに至っては、
例えば阿波踊り終了後なんざ本気で大変なことになっているわけですが、
そういう民衆文化の歴史と、現在の「いかにも日本にありそうな道徳観」が、
何でこんなに「デバイド」されていたのか、それこそ的を得た気分です。
投稿: 的得 | 2007年5月 4日 12:41
的得 さん:
儒教道徳は、決して武家社会だけでなく、案外庶民まで浸透してたんじゃないかとも思ってます。
寺子屋では町人の子も百姓の子も、「シイノタマワク」 を読んでましたからね。
同じ階層の中でも、時と場合によっての重層的な使い分けがあったんじゃないかとも思いますけどね。
投稿: tak | 2007年5月 4日 15:25