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2007年5月29日

食の「ありがたさ」と「ありがたみ」

今でこそ納豆なんて、日本中どこのスーパーでも買えるが、私が学生の頃は、東京に来て初めて納豆というものを見たとか食ったとかいう関西人が、案外多かったものである。

ましてや、「辛し明太子」とか「ししゃも」なんてかなりレアな食材で、九州とか北海道に行かないと食えなかった。

昔は大学に入って上京した関西人が、「東国で名高い『納豆』というものを試してみよう」なんて思って、当時全盛を誇った「定食屋」というスタイルのメシ屋に入り、生まれて初めて実物の納豆を見た途端にカルチャーショックを覚えるなんてことが、ごく普通にあったのである。

さらに、そっと店のおばちゃんを呼び、「な、な、おばちゃん、この納豆、腐っとるで。見てみ、糸引いてるやん。黙っといたるからな、こっそり新しいの持ってきて」なんてことを言って、恥をかいてしまった関西人も、一人や二人ではなかったという。

辛し明太子なんてものも、今ではどこのスーパーでも買えるが、以前は北九州に旅行した際の「おみやげ物」だった。だから、身近に北九州に旅行した者がいないと、辛し明太子というものも「幻の食品」だったのである。

私が中学の頃、北海道に単身赴任した父から届く手紙に「今日はストーブで『ししゃも』を焼いて食べた」なんて書いてあると、「ししゃもって、何だ? 俺も食ってみたい」なんて強烈に思ったものである。

それが今や、日本中に広まってしまった。しかし、本物のししゃもは供給不足なので、日本で流通している 「子持ちししゃも」の 90%は「カベリン」という代用品なのだということは、既に広く知られるところとなってしまった(参照)。しかも、オスの腹にまで注射で卵を入れて「子持ちししゃも」化させているという噂まであるが、本当のところはどうなんだろう。

最近になってにわかに全国区になったものには、沖縄の 「ゴーヤーチャンプルー」 がある。私なんか、これは大好きである。

さらに、上野駅構内の売店を覗けば仙台名物の 「ずんだもち」 が一年中売られ、東京駅構内では広島土産の「もみじまんじゅう」が幅をきかせる。今どき、本当に現地に行かないと食うのが難しいという食材は、あまりなくなってしまった気がする。

こうなると、食べたいものを気軽に求めることができるというのは、ありがたいようだが、「ありがたみ」ということになると、ちょっと薄くなっているような気がする。コンビニエントな「ありがたさ」と 気分としての「ありがたみ」というのは、違うのである。

そんな中で、今でも「幻の食品」といっていいものに、九州の「おきゅうと」と「からすみ」というものがある。ところが、このうちの「おきゅうと」というものは、最近になって私にとってもお馴染みのものであるということがわかった。

というのは、「おきゅうと」は、私の生まれた庄内地方では「えご」といわれるものとほとんど同じものであるようなのだ(参照)。南里商店のおきゅうとなんて、私の知っている「えご」にそっくりじゃないか。なんだ、「ありがたみ」が一挙にうすれてしまったなあ。

となると、正真正銘の「幻の食品」は、「からすみ」にトドメをさすように思われる。これは、博多に出張するたびに空港の土産屋でそそられるのだが、やたらと高いので、つい辛し明太子の方を買ってしまうため、まだ食ったことがないのだ。まだまだ「ありがたみ」度は高い。

あ、それから、宮城県の珍味「ほや」はとてもおいしいから、仙台に旅したらぜひ試していただきたい。まだそのへんのスーパーで買えるほど一般化してないから、「ありがたみ」度も維持されてるし。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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