エコ対策の複眼思考
地球温暖化が切羽詰ってくるにしたがって、マイバッグ使用だの、バイオエタノールをガソリンに混ぜるだの、いろいろなエコ対策が提案されているが、それぞれに懐疑論が付きまとう。
レジ袋を削減したところで、大した効果はないとか、バイオエタノールの需要増加に従って、トウモロコシの価格が暴騰するとか。
再生紙やペットボトルのリサイクルにしても、リサイクルする方が生産に要するエネルギーは大きいのだという指摘もある。要するに、リサイクルは逆に環境破壊につながる所業であって、どんどん採れたての原料を使うほうがいいのだというお話だ。
しかし、このあたりはちょっと待ってもらいたいという気がする。リサイクルの方がよりコストがかかったり、エネルギーを要したりするのは、現時点においては当たり前の話なのだ。
この社会の生産システムのほとんどは、リサイクルなんか考えなかった時代のコンセプトで最適化してある。それ以外のコンセプトで運用しようとしたら、ロスが発生するのは当たり前だ。
つまり、現状のリサイクルはロスが大きいと認めつつ、その上で、リサイクルが不合理なのではなく、現状のシステムが金属疲労をおこしつつあって、不合理になっているのだと考えなければならない。どっちが絶対的に正しいかではなく、歴史の流れという視点の複眼思考である。
リサイクルを前提とした生産システムに移行するには、時間がかかって当然なのだ。今はその過渡期であって、その過渡期の状況の不完全さをあげつらっていては、いつまで経ってもシステムを改良してよりよいものにすることができない。
新しいシステムというのは、いつだって試行錯誤を経て改良され、定着してきたのである。その試行錯誤を否定するのは、システムの進化そのものを否定することにつながってしまう。
人間の所業というのは、常に合理的でまっすぐな一本道というわけではない。これまでの歴史を振り返れば、そんなことは一目瞭然だ。同じようなプロセスを、今現在の我々だって辿りつつあるのである。ゴチャゴチャしてるのは過去の歴史だけと考える方が愚かというものだ。
大きな変化の際に多少の痛みを伴うのは当たり前である。その程度の痛みは覚悟しよう。人類はこれまでだってその痛みを経験してきたのであり、そのおかげで今の世の中が、我々があるのだ。自分たちだけは痛みを感じたくないというのは、勝手というものである。
| 固定リンク
「自然・環境」カテゴリの記事
- 「大富豪と CO2 増加」そして「資本主義と人口減少」(2023.11.22)
- 千葉県にはクマがいないことについて(2023.11.13)
- この暑さ、秋という名の夏でしかない(2023.11.07)
- 津波の恐ろしさのわかる動画(2023.11.06)
- 実際にクマが頻繁に出没する現場からのナマ情報(2023.11.02)
コメント
ちょうどパソコン通信の全盛期だったと思うのですが、1MB(要はフロッピー1枚に収まる程度)のデータを数百メートルほど先のビルに送るのに何が最も早くて確実か、という笑い話があったのを思い出します(設定はいろいろあると思いますが)。
結論は「カール・ルイス」だったんですが(そういえばそんな選手が活躍していた頃だったかも)、まぁ、それに似た話ですよね。
人が走る速度はたいして変わっていないけど通信速度はめちゃ速くなった。トップアスリートのギャラは下がっていないけど、通信コストは無視できるほど低くなった。
ペットボトルの製造コストは将来的に急落しないだろうが、ペットボトルのリサイクルコストは……
バイオエタノールはちょっと心配ですけどね。
投稿: 山辺響 | 2007年6月28日 15:47
山辺響 さん:
笑わせてもらいました。
ISDN 前夜なら、1MB のデータを数百メートル先のビルまで送るんだったら、普通に徒歩でも十分、パソコン通信より速く送れたんじゃないかと思います。
もしかしたら、歩いて帰ってきても、まだ電送し終えてないかも ^^;)
ただ、形のない 「ビット」 は、いくらでも速くなるけど、形のある 「モノ」 を 「生産する」 というのは、なかなか大変なことです。
だから、私はあまり 「モノ」 を持ちたくない (なんてのは、ちょっと横道にそれたかな)
バイオエタノールは、本家ブラジルでは、サトウキビなんかの捨てるだけになった絞りかすを使って生産するなんてのを聞いたことがありますが、定かではありません。
ガソリンに混ぜるために森林を伐採してトウモロコシ作るなんてことになったら、そりゃ、本末転倒でしょうね。
投稿: tak | 2007年6月28日 20:02
珍しく、力んでいますね。(笑)
お言葉ですが(笑)、私はペイするリサイクルは、将来的にも、リサイクル技術が発達しても、そうあまりないと考えます。
マイバッグは問題ないでしょうけれど。
天麩羅油をバス・トラックなどに使用するのは、いいかも知れませんが、農地転用のバイオエタノールは、将来的に食料危機をまねくにちがいありません。
何もしないで、呼吸も最小限に抑えて、じっとしているのが一番かと。(笑)
投稿: alex99 | 2007年6月28日 23:32
(不死鳥の) alex さん:
お久しぶりです。
とくに力んでるわけでもないんですけどね。そう見えるとしたら、まだ青いんでしょうね ^^;)
>ペイするリサイクルは、将来的にも、リサイクル技術が発達しても、そうあまりないと考えます。
ペイしなくても、私は 「お布施」 のようなものだと思うことにしてます。十分な功徳があるかどうか、わかりませんけど。
>農地転用のバイオエタノールは、将来的に食料危機をまねくにちがいありません。
先進国の利便のためのトランスポーテーションと、途上国の生きるための食料と、どっちが大切かというところまで追いつめられるかもしれませんね。
願わくは、バイオエタノールはもっぱら残りかすから作られる技術を開発してもらいたいものです。
投稿: tak | 2007年6月29日 00:38
はじめましてtak様
毎日たのしく読ませていただいております。
リサイクル問題、先日のテレビ番組「たかじんのそこまでいって委員会」で議題に上がり、私も急に気になり始めました。
そのとき解説で出てきた先生のサイトがあり、その、学者先生らしからぬ非常に読みやすい、しかし大変興味深い文章に非常に惹かれました。
武田邦彦先生のサイト↓
http://takedanet.com/
tak様はご存知で、これをふまえての文にも思われましたが、まだであれば是非に。。
私も以前はtak様に近い考えでしたが、今はこのせんせの「『エントロピー増大の法則』によりリサイクルは不可能」の考え方におおむね納得中です。
一番良いのはリサイクルでなく、個人で徹底的に再利用ですよね。
長文失礼しました。
投稿: hwatai | 2007年6月29日 10:07
hwatai さん:
貴重な情報、ありがとうございます。
私としても、ペットボトルは同じものを繰り返し使うということに最も賛成です。
もっと言えば、コンビニや自動販売機でも、ペットボトル詰めではなく、コインを入れれば、飲料水だけが出てくるという方式にしてもらいたいと思っています。
「マイボトル」 に詰めて飲むという感じです。
昔は、お酒だって、空の一升瓶をぶら下げて買いに行ったものですよ。
こんなような意味合いも含めて、社会のシステムが変化していかなければならないと思っています。
コンビニでおにぎり一個買うたびに、わしゃわしゃになったビニールを捨てなきゃいけないというのは、ちょっと割り切れない気持ちがしています。
おにぎりも、おでんみたいな販売方法にできるはずなのに。事実、街の立ち食い蕎麦屋さんなんかでは、それに近い売り方をしてますよね。お持ち帰りじゃないけど。
投稿: tak | 2007年6月29日 10:28
はじめまして。いつも楽しく拝見させてもらっています。
リサイクル論議について、いちおう、日本政府の方針としても
Reduce→Reuse→Recycleという3Rの優先順位をはっきりさせているはずなのですが、
http://www.pref.niigata.jp/seikatsukankyo/kenminseikatsu/gomi/3r.html
やっぱりみんな、ReduceやReuseを行う前にRecycleに心惹かれてしまうみたいなのですよね。
「リサイクルしてるからペットボトルをいくら使ってもいいのだ!」
という免罪符にされてしまうと、
たとえリサイクル技術が発展しても
資源の浪費はますます増えることになりかねません。
議論の行く末が心配です。
投稿: u-kit | 2007年7月 1日 12:02
u-kit さん:
>Reduce→Reuse→Recycleという3Rの優先順位をはっきりさせているはずなのですが、
この場合の "Reycle" は、狭義のリサイクルですよね。
広義のリサイクルは、着物をほどいて仕立て直ししたり、それでもほころびたら、雑巾にして、それで役目が終わったら、灰にして土に混ぜたりと、そんなことも含まれると思います。
個人的には、Reduce と Reuse は、かなり重なり合うと思います。Reuse すれば、消費は Reduce されますからね。
投稿: tak | 2007年7月 1日 22:10