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2007年6月18日

見分けが付いたら、マニアってことよ

微妙な違いの見分けがつくかつかないかというのは、結構大きなことのようなのである。

ライトノベル表紙絵のレベル低下」を論じた記事を発端として、「見分けがつかない」との指摘があり、さらに「りぼんの絵とモー娘。の顔」の例になって、「見分けるほどの興味」のあるなしという話に発展している。

なるほど、私なんかもライトノベルの表紙絵の区別がつかないし、当然、「りぼん」 (少女漫画雑誌) の絵とモー娘。の顔なんてものも、全然わからない。ただし、以前は40歳代後半(当時)にして、スピードの 4人の顔と名前の一致していることを自慢にしている時期があった。

りぼんの絵とモー娘。にしても、上述のブログで、「まあ、りぼんっ子たちには見分けが付くんだろうし、モーヲタにとっては間違えようがないんだろうけど」と、当然ではあるが重要な指摘がなされている。

それを言えば、興味のないものにはさっぱり区別がつかなくても、愛好家にとっては「なんで、違いがわからないの?」というジャンルは、その辺にいくらでもある。演歌の区別が一発でつくオヤジは、最近のロックや、とくにラップなんてのは、完全に同じに聞こえるだろう。その逆もまた真なりだろうし。

陶器や絵画のコレクションにしてもそうだろう。興味のないものには、何がどう違うのかさっぱりわからなくても、わかるものにはわかるのである。マネとモネの区別がついても、モー娘。の顔がわからないと、若い者には尊敬されなかったりする。

何においても、微妙な差異がわかるというのは、重要なポイントである。ピュアアートにしろ、ポップアートにしろ、大衆芸能にしろ、アイドル関係にしろ、つきつめれば、価値というのは微妙な差異から生じるのだ。小さな違いが大きな違いなのである。

興味のないものにとってはどうでもいいようなトリビアルなことが、マニアにとっては決定的な違いであったりする。要は、トリビアリティに夢中になれるほど好きな分野であるかどうかが、問題なのである。

そして、トリビアリティに関係なく、圧倒的な差異を感じさせることのできる存在は、マニアック以外の広い市場に訴求できる。それがスーパースターというものである。しかし、ビートルズ以後、あまりぱっとしたスーパースターが出現していないと、私は思ってしまう。

ビートルズ以後は、トリビアリティの時代なのだな。

それから、細かい話だが、ATOK で 「もーむす」 と入力して変換すると 「モー娘。」 と変換される。気に入らない表記だが、そのままにしておいた。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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