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2007年6月14日

「クロスオーバー」と「エクレクティシズム」

今話題のトレンドというわけでもなんでもないのだけれど、昔から気になっていることがある。「クロスオーバー」と「エクレクティシズム(折衷主義)」の違いだ。

この 2つの言葉、かなり混同して使われている場合が多い。「異なる要素を組み合わせて、新しい感覚を出す」という意味合いだ。

Pitty Savile Row というオンライン・スーツショップの、ファッション用語解説にも、「エクレクティシズム」は、以下のように記されている (参照)。

折衷主義と訳される。さまざまなファッションの中から、自分の気に入るものだけを取り出して、独特の雰囲気で着こなすといったいわゆるクロスオーバー的着こなしがこれにあたる。

ここでも、「クロスオーバー」と「エクレクティシズム」は同じようなものとして解説されている。しかしこの言い方って、ちょっぴり乱暴すぎるんじゃあるまいか。「いわゆる」という但し書きさえ付ければいいというもんじゃない。

もともと「クロスオーバー」とは 「(陸橋を越えて)横切る」とか「鉄道のわたり線」とかいう意味である。それに対して、「エクレクティック」というのは、「取捨選択的な」という意味だ。このあたりから、両者の違いが垣間見える気がする。

「クロスオーバー」という言葉が、芸術方面で一般的に使われるようになったのは、多分、音楽の分野からだと思う。ジャズとロックを融合させた新しい音楽という意味で使われ始めたはずだ(参照)。そこから発して、ファッションなど他の分野でも、異なる要素を融合させたスタイルを指して「クロスオーバー」と言うようになったと理解している。

一方、「エクレクティシズム」 という言葉はずっと以前からあった。複数の異なる地域、異なる時代、異なる民族のスタイルを取り込んで表現する手法である。そしてここが重要ポイントなのだが、「取捨選択的な」という元々の意味合いがあるぐらいだから、「融合」なんてことには無頓着で、「異なる要素の並存」というニュアンスが強い。

ざっくりと概念的に図示してしまうと、右図のようになるかもしれない。2つ(3つでも 4つでもいいのだが)の要素の、重なり合う部分を強調して新しい表現とするのが 「クロスオーバー」で、それに対して、むしろ重なり合わない部分の強調されるのが 「エクレクティシズム」 だ。

なるほど、「クロスオーバー・ミュージック」というジャンルの音楽を聞くと、かなりしっくりくるけれど、例えば、「上を向いて歩こう」の米国バージョンである「スキヤキ・ソング」なんて、米国人の考える東洋趣味丸出しで、日本人が聞くとかなり奇異だもんなあ。

よく映画なんかに出てくる、欧米スタイルの部屋に絵屏風や中国趣味の陶器、バリ島の民芸品なんかをゴテゴテと飾り、金髪美女が着物風のローブを羽織ってシャンパンなんか飲んでるなんてのは、典型的な「エクレクティシズム」ということになるんだろう。

となると、普通の日本家屋の「洋間」なんて、どうなるんだろう。我々にはごく普通のことだが、(強いて言えば「クロスオーバー」か) なんだろうが、欧米人には 「靴を脱ぐ」 ということだけで、それはそれは、とても異国的な「エクレクティシズム」に映っているかもしれない。

同じことでも文化によって違って見えるというのも、面白い。英国のカントリーハウスなんかは、ゴシック様式を取り入れたエクレクティシズムといわれる(参照)が、西欧建築様式の細かな違いなんてわからない日本人には、単なる「西洋建築」にしか見えないし。

そして、日本文化というのは昔から、何を取り入れても「エクレクティシズム」にしないで、「クロスオーバー」にしてしまうという特質があるんじゃないかという気がする。このあたり、ちょっとすごいことなんじゃあるまいか。

日本人、内臓の腸だけじゃなくて、感性回路の腸も長くて、消化能力が高いみたいだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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