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2007年7月17日

「写真論」 の入り口

私がぼちぼちと私的な写真を撮り始めたのは、5年前にデジカメを購入してからのことである。それ以前は、写真を撮るということに、ほとんど興味がなかった。

それまでは、写真を撮る人の気持ちがわからなかった。だから、私は結構海外旅行をしているのだが、証拠写真が極端に少ない。

ところが、変われば変わるものである。デジカメというものを購入してみると、写真を撮るということが、それまでとは比較にならないほど 「手軽」 なものになった。何しろ、フィルムが要らない。現像に出す必要もない。データ保存が楽にできる。無精な私にとって、デジカメは福音だった。

というわけで、私は今では、常にコンパクト・デジカメを持ち歩き、おもしろい光景があれば、パシャリと気軽に撮影し、毎日「和歌ログ」なる和歌と写真のサイトを更新するようになってしまった。

私の写真なんていうのは、まったくの素人の遊び程度のものだが、それでも、これだけ毎日写真を撮り続けていると、それなりに「写真論」というものを意識するようになる。もちろん、フォトグラファーとしての写真論ではないから、とても抽象的なものだが。

写真論というのは、突き詰めれば、「どのような状況に出会うか」ということだ。目の前にないものは撮影できないからだ。そして「出会う」ということは、「どのような心の準備をしているか」ということでもある。

心の準備をしていなければ、目の前に現出したことにすら「出会う」ことができない。「見えているはず」のことにすら、「出会う」 ことができないのだ。英語で、「見る」も 「会う」も、さらに「わかる」も "see" という単語で表現するというのは、かなり象徴的なことである。

写真を撮るということは、あまたの光景の中からフレームで切り取って「選択」するということだ。だから、「出会う」ということは、「選択」でもある。選び取らなければ、出会っていないのである。

だから、写真はその人の人生を現わす。その人が何を選択したかということは、その人がどのような人生を生きたかということと同じだからだ。

「写真はノスタルジックなメディアだ」 と言ったのは、スーザン・ソンタグだったと思う。なるほど、写真の中の光景は、「過去」に違いないのだから、ノスタルジックであることの条件は、基本的に備えている。子供の頃の白黒写真なんていうのは、ノスタルジアそのものだ。

その上でさらに、「過去」 の光景に再び、あるいは何度でも出会い直すことができる。そして、一度「選択」して出会ったことに、さらに新たなことを発見する。撮影時には気付かなかったことを、新たに具体的に発見できる。重層的ノスタルジアである。「ノスタルジアの入れ子」のようなものだ。

この入れ子のようなノスタルジアを意識すると、単なる郷愁を越えて、人生に新しい意味を付け加えることができる。

我が友、「飯豊の空の下から」 の mikio さんが、写真について書いている (参照)。自分が写真というものにまがりなりにも触れあっていなかったら、彼のこの日のエントリーは、私にはさっぱりわからないものだったに違いないと思う。

そしてもう一つ、毎日写真をながめにアクセスするサイトに、「萌野の短歌日記」 がある。「和歌ログ」 同様、写真と和歌による構成だが、こちらの写真は、私の素人写真とはわけが違っていて、見応えがある。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

takさん、写真に開眼したそうで、仲間が増えたことを喜んでいます。
デジタルカメラのおかげで、みんな写真が上手になってますね。
何しろ数撮れますからね。
うんと楽しんで、いい写真撮ってください。
今日は、私の記事からトラックバックを送りました。
どうぞよろしく。

投稿: Mikio | 2007年7月17日 21:50

Mikio さん:

> takさん、写真に開眼したそうで、仲間が増えたことを喜んでいます。

開眼したら、もうちょっといい写真が撮れるんでしょうけどね。
冷や汗です。

それでも、なんとなく、自分なりの視点というものが出てきつつあるのかなという気もしてます。
(単なる 「クセ」 と紙一重でしょうが)

投稿: tak | 2007年7月17日 22:18

takさん、
「写真論の入り口」
写真の本質を表していて、写真を趣味としているものとしてとても感激しました。

私のブログの本日(7/21)のエントリーにリンクさせて頂きました。
それと、無断で恐縮でしたが一部引用させて頂いております。もしご迷惑であればご連絡下さい。ご面倒をお掛けしてもっけです。(^^;

投稿: 伊藤 | 2007年7月21日 17:45

伊藤 さん:

迷惑だなんてとんでもない。

写真の入り口にも立ってないかもしれない素人の 「写真論」でしたが、伊藤さんの心にも響いたのかと思うと、とてもうれしいです。

21日付の写真、なぜだか、見とれました。

投稿: tak | 2007年7月22日 00:26

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» 続・写真 [飯豊の空の下から・・・]
おととい写真のことを書いたら、友人のtakさんからコメントとトラックバックをいただきました。彼も時を同じく、写真のことに触れてブログを書いていたのでした。そのへんのやりとりは[続きを読む]

受信: 2007年7月17日 21:46

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