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2007年7月31日

カール・ゴッチの死

30日、名古屋での会議に出席するために、10時前の新幹線に乗ろうとしたら、静岡県内の豪雨のため運転していないという。

「おやまあ、どうしましょう」 と思ったが、とりあえず東京駅まで行くと、動き始めていた。あらうれしやと新幹線改札口を通った途端に、落雷で再び運転中止。やれやれ。

で、またまたとりあえず、一番先に出発しそうな「ひかり」の自由席に座っていると、ほどなく発車して、約 40分遅れで名古屋に到着した。会議にはぎりぎりセーフ。やれやれ。

帰りは 5時前の「のぞみ」で、何のことなく帰って来ることができた。やれやれ。で、名古屋駅で「東スポ」じゃない、「中京スポーツ」を買うと(45年来のプロレスファンである私の愛読紙である)、なんと、あのカール・ゴッチが亡くなったという記事が載っている。

今年は本当に大切な人が死ぬ年である。5月に母が亡くなったのは別格として、カール・ゴッチが死んだというのは、一つの時代の終焉を感じさせるお話だ。

私は昭和 48年にカール・ゴッチの試合を生で見ている。今はなき蔵前国技館で開催された、新日本プロレスの「世界最強タッグ」という試合だ。アントニオ猪木、坂口征二組 対 カール・ゴッチ、ルー・テーズ組 である。

この当時、カール・ゴッチは 48歳、ルー・テーズは 57歳だった。ルー・テーズは最盛期にいくら強かったとは言え、今の私の年よりさらに 2歳も上である。2本目で坂口征二をバックドロップで投げて、フォールを奪ったとはいえ、印象としてはちょっと弱々しかった。それも仕方がない。還暦までに 3年しかないという年である。

それに坂口征二は決して器用なプロレスラーというわけじゃなかったから、あの年のルー・テーズの良さを引き出すというわけにはいかなかった。猪木ならそれができたのだが。だから、バックドロップで投げられた時も、わざわざ投げてもらったという印象だった。

ところが、カール・ゴッチは 48歳にしてまだまだ強かった。猪木と五分で渡り合えていた。30代前半の頃は、うっとりするほど強かったろう。

ゴッチのスタイルは、ショーマンシップを廃した「ストロング・スタイル」であると言われているが、それでも、それなりのギミックは要所要所に配していた。猪木のキーロックに決められたまま、彼を肩の上まで担ぎ上げて、コーナーポストの上まで運んでしまうというのは、おなじみの見ものだった。

後に長州力が同じことをしようとしたが、どうしても相手を肩の上まで担ぎ上げることができず、ちょっとみっともなかったのを覚えている (もちろん、相手も下手だったのだろうが)。こうしてみると、ゴッチさん、一面ではなかなかのパワーレスリングの体現者だった。

昭和プロレスの地味ではあるが重要なギミックのひとつに、レッグロックがある。足固めだ。子供の頃のプロレスごっこで、足固めを決めようとすると、空気を読めない素人(どうせ素人なのだが)の子供は足を思いっきりバタバタさせたり、相手を蹴ったりするので、なかなかレッグロックに入れなかった。まったく困ったものである。

現在の格闘技でも、レッグロックなんていうのは容易には決まらない。思いっきり足をバタバタさせて逃げれば、そんなに決められるものではない。

カール・ゴッチは、いくらショーマンシップを嫌ったとはいえ、足をバタバタなんてみっともないことはしなかった(そんなことをしたら、プロレスにならない)。しっかりとシックに、エレガントに、足首関節の極め合いという状況を演出して見せてくれた。

プロレスで大切なものは、レスラー同士の信頼感である。信頼し合っていればこそ、難しい技も仕掛けられる。仕掛けられれば、受けても見せられる。信頼感のないところに名勝負は生まれない。

今思えば、カール・ゴッチとの信頼感を醸造するというのは、なかなか高いハードルだった。なまじの技量では追いつかないのである。日本のプロレスラーの中には、それを体現する者が多かった。だから、カール・ゴッチは日本のレスラーをコーチするのが好きだったのである。

昭和プロレスの時代は、なかなかいい時代だった。その中での最も高レベルの体現者であったカール・ゴッチの死を、私はとても重く受け止めている。本当に本当に、冥福を祈る。

そして、クラシック・スタイルのプロレスを追求する「無我」には、少なからず期待している。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

お邪魔します。崇拝するレスラーは『リック・フレアー』、がんなむぅです。

小学生時分の『プロレスごっこ』では、起死回生技→大技→間接技(4の字とかの必殺技)という、不文律が出来ていました。

当時から”不文律”を感じ取っていた、おませさんだったのでしょうか?

年齢や寿命のことですから仕方がないこととはいえ、ゴッチ親分のことは、大変残念です。

投稿: がんなむぅ | 2007年7月31日 10:30

がんなむぅ さん:

リック・フレアーとは、なかなかの 「通」 ですね。

ハリー・レイスとリック・フレアーは、キャラは全然違いますが、スタイルに共通したところがあったと思います。

ちなみに、私はダニー・ホッジなんか強かったなあと思います。
ミスターX のビル・ミラー、ボボ・ブラジルもすごかった。

それから、マッドドッグ・バシヨンも好きでした。
モンゴリアン・ストンパーも一種独特でしたね。

投稿: tak | 2007年7月31日 14:56

じ、じゃあ…、ディック・マードックや、ローラン(ド)・ボック、最近ではスティーヴ・ウィリアムスなんかが好みであり…、(以下略)。

投稿: がんなむぅ(すみません) | 2007年7月31日 22:49

がんなむぅ(すみません) さん:

>じ、じゃあ…、ディック・マードックや、ローラン(ド)・ボック、最近ではスティーヴ・ウィリアムスなんかが好みであり…、(以下略)。

おぉ!
みなまで書かなくても、「我が意を得たり!」 でございます!

とくに、ボック、凄かった! (ひどかった?)

投稿: tak | 2007年8月 1日 06:14

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