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2007年7月23日

東京ガールズコレクションを巡る冒険

一昨日のエントリー、「ファッションとウェブのお話」 の、はてな版(ココログのリザーブに位置づけてる) が、kumi, the Partygirl のはてぶに載っけてもらえてるのに気付いた。

「東京ガールズコレクションは携帯やPCと連動してるよ」 と、彼女はコメントしてくれている。もっともな指摘だ。

東京ガールズコレクションというのは、とても頭のいい人の考えた企画だと思う。従来のファッション常識からしたら、こう言っちゃ悪いけど、B級のそしりを免れないコンセプトを堂々と表面に押し出して、 ちょっと別の次元で成功しちゃってる。

モデルだって、身長 175センチなんか全然必要ない。だって、フツーの女の子が買う服なんだもの。ショーのために市場には出さない服を特別にデザインするなんて、手間と金ばかりかかる手法は採用しない。だって、売れなきゃしょうがないんだもの。

そして、ターゲットとなるのは、徹底的に日本独特な「若い女の子」という市場だ。彼女らをメインターゲットとして、ステージでショーをしてみせるなんてのは、欧米の発想ではちょっとマイナーすぎる。だが、おっとどっこい、日本では最もメジャーなファッション・マーケットなのだ。

だから東京コレクションは、多少なりとも、あるいは建前だけでも、インターナショナルな市場を志向しているけれど、東京ガールズコレクションは、あっけらかんとドメスティックだ。その独特のドメスティックさゆえに、アジア地域では親和性があって、北京でも開催されたりしているのだが。

東京ガールズコレクションというのは、頭のいい人の企画と書いたが、どんな点がそうなのかというと、徹底して「雑誌的」なのである。若い女の子向けのファッション雑誌の雰囲気を、ステージ上に、ウェブ上に移植しているのだ。

雑誌の手法なら、こうした企画の関係者は、すっかり手慣れている。お手の物なのだ。余計な背伸びをしないですむ。で、すっかり自分たちの土俵上で勝負していて、余計なところに手出ししない。だから破綻しない。

本当に、頭のいいマーケッターの考えたことである。なかなかのものである。

と、ここまでさんざん褒めておいて、なんなのだが、私としては、個人的にこれ以上のシンパシーを表明するのが、とても気恥ずかしい。

というのは、どうせドメスティックなビジネスなんだから、どうでもいいようなことなのだが、「東京ガールズコレクション」(Tokyo Girls Collection) というネーミングは、ちょっとね、ということなのだ。

どういうことかというと、先月の "「ヤンキー」が、好きラー!?" というエントリーで、レッドソックスの岡島は「ヤンキース・キラー」じゃなく、正しくは「ヤンキー・キラー」なのだと書いたのと同様のことなのだね。(英語では名詞を形容詞的に用いるときは単数形になる)

つまり、「東京ガールズコレクション」 (Tokyo Girls Collection) じゃなく、「東京ガールコレクション」(Tokyo Girl Collection)と言ってもらいたかったのだよ。「ジーンズ・ショップ」 というのも、本当は "jean shop" なんだしさ。

本当に本当に、どうでもいいことだけど、ここにこだわらなかったら、tak-shonai というブロガーの存在意義は、ほとんどなくなっちゃうじゃないか。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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