ツッコみたくはないが、「美しい国」
「美しい国」という安倍首相の謳い文句にツッコミを入れようとは、敢えて思わなかった。
というのは、キャッチフレーズとしては小学生並の低レベルで、個人的にはツッコミ甲斐なさすぎだし、またそれ故にか、あちこちで低レベルなツッコミが頻発していて、その同じ土俵に上がるのは気恥ずかしかったからだ。
あなたが広告代理店のスタッフで、ある新創刊雑誌の宣伝を担当したとする。そして、あなたのプレゼンで最初に提案され、雑誌の売れ行きを左右するであろうキャッチコピーが、「美しい雑誌」なんてものだとしたら、どうなるか。その場のシラけようが目に見える。
「美しい雑誌」のどこが悪いのかと言われれば、そりゃあ、どこも悪くない。しかしどこも悪くなさすぎであるが故に、それは何も言ってないのと同じなのである。キャッチフレーズとしての意味がないのだ。「美しい国」も同じことである。
何も言ってないのと同じ言葉に、当初はつい好意的に脊髄反射してしまった人たちもいる。それは、彼らにとって「美しい国」というのが、ほとんど「業界用語」だからである。特定の世界では、まさに美しいシンボルであったりするのだろう。
しかし、広範なプロモーションに業界用語を使うことの危険性に、安倍さんは気付いていなかったようだ。確かにそうした使い方で成功する例も少なくないが、このケースでは「美しい」なんていう何の変哲もない形容詞が素材だもの。初めから無理というものだ。
安倍さんという人、内閣官房長官時代はそれなりに冴えていたところもあり、それ故に、昨年秋には圧倒的人気で地滑り的に自民党総裁選挙に勝利したわけだが、首相になったとたんにこの程度のことになってしまった。
内閣官房長官なんて、わけのわからない呼称だから曖昧なのだが、その仕事は要するに「広報担当」である。与えられた言葉で訴求するのと、自分の言葉でやっていくのとは全然違うことのようなのは、なかなか教訓的である。
で、ここまで来て誤解のないように確認しておくが、私は安倍首相のいう「美しい国」というビジョンそのものに真っ向から批判的というわけでは、決してない。だって、確かに「美しいこと」を言っているのだもの。ただ、それは「単に当たり前のこと」(または 「芸のないこと」)ともいえるが。
その上で、彼の言葉センス、プロモーション・センスでは、あまり多くは望めそうにないと感じているのである。
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