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2007年7月 4日

真宗、禅宗、神道に馴染んじゃってるので

私の実家の宗旨は浄土真宗である。本家は神道の家なのだが、祖父の代に分家してから真宗の檀家になったもののようだ。

だから、母の葬儀は真宗の寺の坊さんに来てもらって執り行った。しかし婿養子の父は禅宗(曹洞宗)の寺の出なので、真宗の雰囲気には少し違和感があるようなのだ。

浄土真宗のお経は浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)が中心で、その他に「正信偈」というのと「和讃」というのがある。この和讃の念仏は、ちょっとおもしろい節がついていて、お経と芸能の中間点にあるんじゃないかと思うほどだ。

念仏和讃は、こちら で聞くことができる。「南無阿弥陀仏」というのを、「なぁーあーむぅーーあぁーあーみーだぁーあーぶぅー」みたいな感じで、節をつけて歌うように唱える。なるほど、念仏踊りが歌舞伎のルーツのひとつであるというのもうなずける。

私なんか、卒論と修士論文のテーマが歌舞伎だったぐらいなので、こういうの、かなり好きだな。

そりゃ、曹洞宗にも声明という歌に近いのもあるが、一体に地味でシンプルな読経が多い。それに慣れ親しんだ父の耳には、念仏和讃は芸能的雰囲気が強すぎる感じがしても仕方がなかろう。

それに、浄土真宗では 「般若心経」 をあげないというのも、父にとっては違和感の根元みたいなことのようなのだ。なにしろ、禅宗ではなにかというと般若心経なのだから、それを無視されるというのは、「ちょっと待てよ」 という気持ちになるかもしれない。

「なぁーあーむぅーーあぁーあーみーだぁーあーぶぅー」 を延々とやるぐらいなら、般若心経をちゃちゃっと読んでもらいたいと思うのも、無理もなかろうと思う。だから、父には「俺がこっそり般若心経を読んであげるから、安心して死んでいいよ」と言ってある。真宗の旦那寺の和尚さんには内緒だが。

いずれにしても、私は実家の真宗、父の実家の曹洞宗、本家の神道と、3つの宗旨の雰囲気に子供の頃から馴染んでいるので、ほとんどこだわりというのがない。大切なのは違いをあげつらうことじゃなくて、「信心」なんだと思っている。

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コメント

リンク先の和讃を聴いての感想を2つ
一つ目(表記法の話)
和讃の本には節回しが文字の横にある記号で表されていますが、音の高低はわからない=その部分は「口伝」で伝えると言うことなのですが、私が興味を持っている日本古典音楽の楽譜では、逆に音の高低だけが楽譜として残され、節回しの部分は口伝(いわゆる口三味線)で師匠から弟子へと伝わって行きます。古い芸能という感覚では似ていますが、そういう点でちょっと違うのだなぁとおもいました。

2つ目(ところ変われば)
takさんは東北地方の方なので、浄土真宗=東本願寺系だと思いますが、私の家の浄土真宗は西本願寺系で、和讃はもっともっと「唄」になっています。西洋音楽的な楽譜にきちんと表せそうなくらいです。聴くところによると親鸞上人が和讃を作ったときに流行していた「今様」がベースになっているのだとか。こいつを近所のお年寄りたちが合唱するという感じになります。いかにも庶民の宗教という感じです。機会があれば一度聞かれてはいかがでしょう?なかなかおもしろいですよ。

投稿: fujioka | 2007年7月 4日 22:46

お邪魔いたします。がんなむぅ!です。

本日、こちらのエントリーにて、takさんに、本格的に”感服”でございます。

父方は相模原にある日蓮宗(星と梅がキーワードのお寺)の檀家筋→地元お寺の檀家、母は神主の娘、親戚の一部に日蓮正宗(の勉強会の集大成学会)という境遇です。

様々な思想が入り交じった中で、(何となく)育って来ましたが、学ぶべきところは全てにありました。

ただ、取捨選択の”機能”も、存分に鍛えられたことは言うまでもありません。

結局、自称『ヘソマガリ』です…。


残念ながら、禅宗の「喝ーっ!」には、遭遇しておりません。


いかん。論点ずれちまった…。

投稿: がんなむぅ! | 2007年7月 5日 00:46

fujioka さん:

表記法に関しては、確かにそうですね。
あの表記法では、音の上げ下げはわかりません。ウチの旦那寺の和尚さんのは、微妙に違ってます。
(要するに、細かいことは言わないのかなあ)

確かに、ウチの宗派は真宗でも大谷派(東本願寺系)ですんで、京都に行ったら、時間がある限り寄ることにしてます。(拝観料が無料なので、寄りやすい ^^;)

西本願寺では、もっと歌ですか。それは知りませんでした。
聞いてみたいなあ。

投稿: tak | 2007年7月 5日 06:21

がんなむぅ さん:

私は日蓮宗系はあまり馴染みがなかったんですが、中年を過ぎて始めて日蓮宗のお葬式に参加して、「ふ~ん、やっぱりちょっと違うのかなあ」 と感じました。

某下町の会場での結婚式に参加したとき、どの部屋からか、熱烈なお題目の合唱が鳴り響いていたのには、ちょっと引きましたが。

>様々な思想が入り交じった中で、(何となく)育って来ましたが、学ぶべきところは全てにありました。

重層的文化の中に育つっていうのは、なかなかいいことだと思います。考え方に厚みが出ますよね。「深み」が出るかどうかは、本人次第ですけど。

>残念ながら、禅宗の「喝ーっ!」には、遭遇しておりません。

曹洞宗は 「喝ーっ!」 だけかと思いますが、妻の実家は臨済宗で、引導を渡すときに刀をぶん投げるのには、さすがに驚きました。

投稿: tak | 2007年7月 5日 06:28

takさん ご無沙汰しております。
ブログは毎日読んでおります。

法事はそのつど、慣れたことではないので大変ですね。
私たちも、主人の母の一周忌を先月末にし、今度は新盆の準備です。
takさんのおうちと同じ真宗大谷派で、ちょうど昨日は福島のお寺で頂いた本を読んでいたところでした。
そして私の実家は日蓮宗です。
お経はどちらも、その場にいると違和感なく唱えられますが、ちょっとだけ、新興宗教的な感じは苦手です。けれどお寺の住職様のお話はどちらも好きで、いいなと思います。
やはり、日本人なのでしょうね。


投稿: KEICOCO | 2007年7月 5日 10:19

KEICOCO さん:

>法事はそのつど、慣れたことではないので大変ですね。

こういうことは、あんまり慣れたくないですしね ^^;)

お坊さんのお話は、たいてい聞いていていい感じですよね。
(たまぁに、「なんじゃ、そりゃ!?」 みたいなトンデモ話をする坊さんもいますけど)

投稿: tak | 2007年7月 5日 12:31

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