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2007年8月28日

「コミュニケーション英語」 に徹するならば

中教審の答申に沿い、高校英語は現行科目をすべて統合し、「コミュニケーション英語(仮称)」という科目になるんだそうだ (参照)。

現行では「英語」「オーラル・コミュニケーション」「リーディング」など、6科目があるんだそうだ。へぇ、知らんかった。いくら科目数を増やしても、役に立たなかったというわけだな。

日本人の英語力が低いと言われるのは、英語に対するスタンスが定まっていないからである。漠然と「アメリカ人のように英語をしゃべりたい」 みたいなイメージがあるだけで、じゃあどうするかという具体的な方法論がない。

翻って、インド人の英語に対するスタンスは立派なものである。とにかく自己主張ができればいい。ほとんどのインド人の英語はものすごい訛りで、「これが英語か?」と思うほどだが、彼らは「自分の英語は変だ」なんて決して思っていないようなのだ。とにかく臆せず機関銃のようにまくし立てる。

多くの日本人はそれができない。英語をしゃべるということは、ジャックとベティのようにしゃべれなければならないと思っているものだから、どうせ、できっこないので、しゃべろうともしない。

それでもフツーの日本人には別になんの不便もない。日本国内でフツーに暮らしている限りは、どうしても英語をしゃべらなければならない機会なんて、1年に 1度もない。

先日、インドから国際電話がかかってきた。衣料品会社の売り込みである。ご多分にもれず、ものすごいインド訛りの英語だ。たった 10分ぐらい相手になるだけで、聞き取りにものすごく疲れた。それでも、彼らは英語によるコミュニケーションには、一応成功したわけだ。

その直後に、今度は香港の見本市会社からの電話がかかった。上海における国際的展示会のプロモーションだ。電話をかけてきた女性は、「私は日本語も少しだけ話せますが、とても下手です。ですから、どなたか英語のできる方がいますか?」と聞いてきた。

その時、私はインド訛り英語の相手をして疲れ果てた直後だったので、さらに英語を話す気にならず、つい「英語を話せる人はいませんので、日本語でお願いします」と言ってしまった。日本語ができるんなら、日本語でしゃべってもらおうじゃないかと思ったのだ。

ところが、それが間違いの元だった。彼女の日本語は想像以上に下手くそで、ほとんど小学生低学年レベルだ。そのレベルでビジネスのことを伝えようとするので、まったく要領を得ないし、こちらの言うことも半分以上理解できないみたいだ。

「しまった、英語にしておけばよかった」と思ったが、今さら「実は、英語できます」とも言い出しにくい。変てこな日本語のままでようやく用件を済ませたが、インド訛りの英語を相手にするよりも、さらに疲れた。

この立て続けにかかってきた 2件の国際電話で、私は嫌でも再確認してしまった。好むと好まざるとに関わらず、英語は国際共通語なのである。英語のネイティブスピーカーでないもの同士のコミュニケーションでも、英語は 「便利」 なのだ。

ならば、「便利な道具」 として、必要に応じて使いこなせればいい。どうせ、日本人全体がジャックとベティになんかなれないんだし、また、なる必要もないのだから。

どうしても英語が大好きで、ジャックとベティになりたかったら、それなりの特別な努力をすればいい。逆に、どうしても英語が苦手だったら、"Sorry, I don't speak English." だけを覚えて身をかわしても、この国では致命的な不利益なんてない。

というわけで、中教審の答申のように「コミュニケーション英語」に徹しようというなら、それはもう、現場の教師のメンタリティから変えなければならない。「英文学」じゃなくて、さらに「英語学」ですらなくて、なにしろ「コミュニケーション英語」なんだから。

小難しいこと言わずに、通じる者の勝ちということで行かなければならない。文法なんてものより、迫力の方が役に立つのだ。

実際には、本当に「コミュニケーション英語」を現場で指導できる教師が全国レベルで育つのに、10年かけなければならないんだろうなあと思う。そんなのを待つより、中高生は学校に頼らず、勝手に英語の勉強をする方が手っ取り早いと思うぞ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

私は英語はできないので、よくわからないのですが
"Sorry, I don't speak English."だと
「すみません、わたしは英語できるのだけれど、話しません。」
と言うニュアンスではないですか?
"Sorry, I can't speak English."
の方が適切なのではないですか?

投稿: コテハン | 2007年8月28日 02:36

おつかれさまです。

米系銀行にいた時、韓国支店の人と話す機会があって、英語でした。互いに似たようなレベルのたどたどしい会話でしたけど、「英語って便利だなー」と思いましたよ。

現場の教師のメンタリティを変える……これは大仕事ですねぇ。

投稿: sato | 2007年8月28日 05:50

コテハン さん:

普通は 「話せません」 でも
"I don't speak English." ですね。

(「しゃべってるじゃないか」と突っ込まれそうですが)

「話せますか?」 と聞く時、
"Do you speak English?"
ですから。

"Can you speak English?" とは
聞きづらいです。
ちょっと失礼な感じかな。

「泳げないんだ」 は
"I can't swim" ですけど、
英語をしゃべる、しゃべらないごときで、
ことさらに can't なんていう必要はないということかも。

投稿: tak | 2007年8月28日 20:46

sato さん:

共通語がなかったら、津軽の人と薩摩の人が話すにも便利かもしれませんね。

その意味では、英語同様、共通語は便利。
だけど、庄内弁は絶対に放棄しません。

同様に、日本語は大切にしたいです。

投稿: tak | 2007年8月28日 20:53

>"Can you speak English?" とは
>聞きづらいです。
>ちょっと失礼な感じかな。

なるほど、アメリカ人でも英語を話せるか話せないかで気を使うのですね。
私は、「英語話せない方がおかしい」と思ってるのだと感じてました。


投稿: コテハン | 2007年8月29日 23:13

コテハン さん:

>なるほど、アメリカ人でも英語を話せるか話せないかで気を使うのですね。

いや、彼らはそんなことに気を使ってないんじゃないかなあ。
そういうこととは、ちょっと違う気がします。

「英語話せますか?」 じゃなくて、
「あなた、英語しゃべる人?」 って感じなだけだと思います。

投稿: tak | 2007年8月30日 00:35

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