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2007年8月23日

「自分の中の他者」 を持つこと

物事を理解するというのは、ある意味、自分の中の他者に、いかにわかりやすく説明できるようになるかということなんじゃないかと思う。

ややこしくて難解なことは、まずそのとっかかりだけでもいいから、なんとかシンプルに説明しようとしているうちに、全貌がよりよく理解できてしまったりすることがある。

そういう意味では、何かの説明会などで、自分の言葉を使わずに、既によく知られた公式的なテキストの繰り返ししかできないやつがいると「こいつ、本当はよくわかってないな」なんて思ったりする。

要するに、単なる仕事として「私は説明しました」というアリバイを作るためにのみそこにいて、本当に理解してもらおうなんてことは、決して思ってないんじゃないかと疑ってしまうのだ。ということは、そいつもしっかりとは納得してないんじゃないかという気がする。

実際、そうした型どおり過ぎる説明を聞いても、あまり納得したような気がしないのである。で、「何かご質問は?」なんてことを言われても、「こいつに質問しても、あんまり意味ないな」なんて思ってしまうのだ。それよりも、さっさと締めてもらって、早く帰りたいという思いが先に立つ。

そして、帰ってから改めて自分で調べてみたりする。そのうちに、「何だ、要するにこういうことか!」と納得する。「こんなこと、5分もあれば説明できるぞ」 なんてね。

「アリバイ作り」 のオッサンが 30分かけて説明することを、「自分の中の他者」に 5分で説明できるようになって、初めて「少しは理解した」と言えるんだと、私なんかは思っている。

で、ちょっと話は逸れてしまうのだが、「自分の中の他者」 がいないと、とんでもないことになってしまうという実例がある。"「中学生と性交渉」 告白大学生 内定取り消し、退学の危機" というお話だ。

このニュースの当事者である大学生は、鉄道のキセル行為をしようとしたことや、中学生と性行為をしたことや、医師の診断書を偽造して大学の授業を欠席しようとしたことや、大学のテストでカンニングをしようとしたことや、腐った卵を自宅隣のアパートの郵便受けに突っ込んだことなどを、mixi に書き込んでいたという。

この大学生、自分の中に 「他者」 がいないんだな。「俺様」 しか。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

なんかすごいことになってるみたいですね。
でも実家まで調べあげるのはやり過ぎだと思うのですが…


自業自得とはいえ恐い世の中(ネットの中?)ですね

投稿: はじ | 2007年8月24日 02:20

はじ さん:

>なんかすごいことになってるみたいですね。
>でも実家まで調べあげるのはやり過ぎだと思うのですが…

えっ、そんなことにまでなってるんですか。
この件については、書きっぱなしでその後のことまでは知らなかった。

最近、正義感と野次馬根性と尻馬に乗ったイジメと暇つぶしが、渾然一体になっちゃってるのが恐いですね。

投稿: tak | 2007年8月24日 09:44

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