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2007年9月16日

安倍さんをボコボコにした 「いじめの構造」

安倍首相がボコボコにされちゃって降板というのは、結局、政治の世界の 「いじめの構造」 だったのだなとわかる。

私は、今年の 1月 25日に 「安倍晋三改造計画」 というエントリーの中で、安倍さんは叩かれやすいキャラだと書いている。つまり、「いじめられっ子」 の素質十分なのだ。

このエントリーの前に、私は 「竹中平蔵改造計画」 というのも書いている。私は、両方のエントリーで、「せいぜい苦み走って、根に持ちそうな強面の風貌を身につけるといい」 と書いている。

この国で自分の主張を通そうと思ったら、ディベート的に論理で勝とうとしても無駄なのである (参照)。それよりも、声の張り上げ方とか、恐そうな表情を垣間見せるとか、裏で恫喝するとか、そんなようなやり方の方がずっと効果的なのだ。悲しいことに。

ところが、竹中さんも、安倍さんも、一見お行儀がよすぎて、周囲から安心して攻め込まれがちだったのである。

ただ、竹中平蔵さんという人は精神的に案外タフで、何を言われても、自分の方が正しいと思いこめる人だったので、潰されずに済んだ。そしてやるだけやったら、ケツをまくってアカデミズムに帰っていった。

ところが、安倍さんはもっとずっとデリケートだった。いじめに遭うと不登校になるようなタイプと言っていい。特集番組で流されたビデオで振り返ると、安倍さん、大分前からいじめられっ子がヘルプを求めるサインを出しまくりじゃないか。

涙目、泣き声、切ない訴え調等々。私はあまりテレビを見ないので、活字媒体偏重だったから、ちょっと気付くのが遅れてしまったのだが、それでもやっぱり、このブログでも無闇に情け容赦なく斬りつけるような書き方は憚られた。

私は 5月 30日の 「動物的ヘジテーション感覚」 というエントリーで、当ブログでは自殺した松岡元農林水産大臣について、ことさらに批判的なことを書く気になれなかったと述べている。「下手にツッコんだら、いかにも壊れちゃいそうで、どうしてもためらわれてしまった」 のだ。

同じようなことを、安倍さんにも感じていた。あんなにまでサインを出しまくっていたことには気付かなかったが、それでも無茶苦茶なことは書いていない。せいぜい 「あまり多くは望めそうにない」 程度の言い方に抑えてある (参照)。

ところが、世間というのは相手が弱みを見せると、かさにかかって攻め込みたくなってしまうところがある。

今になって思えば、心身症の総理大臣を何ヶ月もの間戴いていたのだから、危機管理以前の問題である。危なくてしょうがない。どうしてこんなにまで傷が深くならないうちに、退陣願うことができなかったんだろう。政治の世界というのは、よくよく因果な世界のようだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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