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2007年10月31日

亀田問題って、なんでそんなに面白いのか

日本中でまだくすぶり続けている例の 「亀田問題」 だが、これって、どうしてこんなにも注目されるのか、今イチわからなかった。

単にバカ親父に踊らされた 3兄弟と、それに便乗した TBS を初めとするマスコミ、ボクシング業界の悪のりが、自然に破綻したというだけのことの、何がそんなにおもしろいのか。

これって結局、閉塞状況にうんざりしているフツーの日本人たちが、鬱憤晴らしをするための、格好の材料なのだと思い至った。

自分が絶対的正義の立場に立って、つい最近までヒーロー面をしていた連中に、一転して「詫びを入れろ」と迫り、さらに形だけの詫びに対しては「誠意が感じられない」とまで居丈高になるというのは、これはとてつもない快感なのだね。

約 2年半前の JR 西日本福知山線の事故のときは、マスコミがその快感に悪のりしすぎて、逆に世間の反感を買った(参照)。しかし、今回の亀田問題は、マスコミもフツーの日本人も、一体となって亀田叩きに走っている。まあ、それまでの前フリが前フリだったから、仕方のないところもあるけれど。

しかしよく考えれば、糾弾すべきより重要な案件は他にいくらでもある。社会保険庁問題、防衛省問題、某宗教団体と某政党の政教非分離問題、その他もろもろ。

どうして世の中は、亀田問題なんていうおバカなことにそんなにまでエネルギーを注いで、もっと大事な問題に切り込まないのかというのは、もっともな疑問である。

しかし、人間というのは重要な問題には切り込まないものなのだ。そして、崩れかけた壁に対しては、勝ち誇ったように蹴りを入れたがるのである。だってその方が楽だし、気が晴れるし、快感だし、大きなベクトルに乗っかってるから、反撃を食らうリスクも小さいし。

世間とはそういうものなのである。それに対して冷静な批判を浴びせても、あまり大きな意味は発揮できない。

それは、他の閉塞状況で感じている鬱憤を晴らすための、代償行為なのである。実際には、亀田問題なんてどうでもいい。しかし尻馬に乗って騒げば、快感を得られるのである。だったら、尻馬には徹底的に乗るのである。世の中全体がそれに飽きてしまうまで。

というわけで、気を付けなければならないのは、「せめて自分だけでも、もうちょっと冷静でいよう」と思い続けることぐらいなんじゃなかろうか。一時的な快感は我慢しても、あとで内心忸怩たる思いをしなくても済むように、せいぜい調子に乗りすぎないことだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

私も全く同じような主旨のことをブログで、何度も言い立てているんですが、ワイドショーは全く聞く耳をもたないようで・・・。(笑)

第一、謝罪会見なんて必要なんですか?
日本の常識は世界の非常識。

第二、いつ、日本のおばちゃんまでがボクシングファンになったんだ?
ルールなんて全く知らないくせに、「反則!」「反則!」とうるさい。

ボクシングなんて、歴史的に演歌の地方巡業と同じで、しょせんいかがわしいものなんです。
聖人君子のスポーツじゃない。
ハングリーなスポーツです。
特に昔のアメリカでは、マフィアがしきっていたから、八百長当たり前。
タイソンだって、世界戦でホリフィールドの耳をかみ切っている。

亀田大毅は投げ技を披露?しただけで、内藤に何にも危害を与えていない。

また、日記に書かなきゃね。

投稿: alex99 | 2007年11月 2日 02:04

alex さん:

>ワイドショーは全く聞く耳をもたないようで・・・。

ワイドショーは、元々尻馬に乗って騒ぐのための番組ですから、あんなものでしょう。

私はそれを批判するより、観察する方がおもしろいです ^^;)

投稿: tak | 2007年11月 2日 07:13

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