「ブログ限界論」 の中身の最も単純な一端
4日前の 「ブログ限界論」 についての記事に、alex さんがコメントをしてくれて、さらにご自分のブログでも論じておられる(参照)。
alex さんは、「ブログ限界論」なるものの実態を、"ブロガーの「表現意欲と能力」が、ほぼ一巡した" にすぎないと、極めてシンプルに言い切っておいでだ。なぁるほどね。
alex さんはさらに、"『まだ、書き続ける人』と『もう書かない人』とは、少しの『差』があるのではないだろうかとも思う" とも指摘しておられる。これも「なぁるほど」である。ただ私には、その「少しの差」というのが「大きな差」に思えるのだが。
ブログに限らず、どんなものにでもいえることなのだが、「始めてはみたけれど、じきに息切れする層」と、「じっくり続ける層」とが存在する。つまり「新規参入」は常にあるのだが、参入した人のすべてが継続するわけじゃない。これはごく当たり前のことである。
そして、ブームと言われた現象の衰退というのは、この「当たり前のこと」が、一時的にとても極端な形で現われたに過ぎないのだ。
ちょっと前、「ブログ・ブーム」といわれた時にどっと参入した層のかなりの部分が息切れして、ドロップアウト、あるいはフェイドアウトしてしまった。そして、普通ならばコンスタントにあるべき「新規参入」が、ブームといわれた時にかなり前倒しになっていたために、現在のところ、適正規模で続かなくなっているのだ。
つまり一時的なブームで膨らみすぎていた規模が一気に縮小し、それを補うべき新規参入のソースが枯渇気味なのである。これは「ブーム」と称せられる現象のほとんどすべてに当てはまるパターンだろう。
実際に(少なくともアクティブな部分の)規模が縮小してしまっているのだから、「近頃ブログがつまらなくなったね」と感じられても仕方ないのである。そして、それをあまり真正直に受け取ってしまうと、「もうブログも終わりだね」とか、「ブログも限界だね」とかいう話になってしまいがちだ。
ところが実際には、一時的なバランス失調にすぎないので、「限界論」なんて大袈裟な言い方をされているのをよそに、ブログそのものは今後も淡々と続くだろう。そもそも「限界」のないものなんてこの世にないんだから、あまり大上段に言ってもしかたがない。
そしてその限界の地平すれすれのところで継続の中核となるのは、alex さんの言葉を借りれば、「自分の目や耳に入った世の中の出来事・森羅万象を、かたっぱしから『ブログ』にしてしまう」という(あまりお金にはならない)技をもったブロガーである。
つまりどんな素材でも、ちょっとひねってブログにしてしまえる「独自の視点」をもっているかどうかということだ。ブログが継続する土俵は、いろんなブロガーのいろんな「ひねり方」を楽しむメディアということなんじゃないかなあ。
そういえば私なんか 6年近く前に「知のヴァーリトゥード」を立ち上げた時から、「一ひねり」をサイトの基本コンセプトとして、トップページに標榜し続けてきたことだし。
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コメント
>ただ、私には、その 「少しの差」 というのが 「大きな差」 に思えるのだが。
-----
私も本当は、質的に「大きな差」だと思っているんですが、私としては、私自身も中断をはさみながらも「まだ 書き続ける派」と捉え、私らしくもなく謙遜したのです。(笑)
私も、おっしゃるとおり、限界ではなく、「もう書かない人達」をふるい落としての、修正局面だと思います。
投稿: alex99 | 2007年11月28日 00:57
>alex さんは、「ブログ限界論」 なるものの実態を、"ブロガーの 「表現意欲と能力」 が、ほぼ一巡した" にすぎないと、極めてシンプルに言い切っておいでだ。なぁるほどね。
ーーーーーー
もう少し表現法を変えると :
"ブロガーの 「表現意欲と能力」、ほぼ一巡した"
と言うより
そのブロッガーの「テーマの手持ちストック」が尽きた・・・と言うべきかも知れませんね。
ストックというものは、消費すれば減衰し、消滅するのが必定。
したがって『ストックからフローへ』の転換が、ブログ持続へ必要な形態変化かもしれませんね。
この『フロー』とは、すでに述べた『独自の視点で、森羅万象を切りさばいて』ブログに変換する技法ということです。
投稿: alex99 | 2007年11月28日 01:17
alex さん:
>"ブロガーの 「表現意欲と能力」、ほぼ一巡した"
>と言うより
>そのブロッガーの「テーマの手持ちストック」が尽きた・・・と言うべきかも知れませんね。
確かに、その方がより 「シンプル」 な指摘ですね。
私自身も、時々 「ネタが尽きて、書くことない!」 なんて思うことがあります。
それでも、よく周りを見回せば、ブログにする素材はいくらでもあるわけで、素材を切りさばく視点は代わり映えしなくても、いくばくかの新しいことは言えるわけです。
ある意味、「この人、煎じ詰めればいつも同じことっきり言ってないよね」 というブロガーの方が、面白かったりします。
ブロガーではありませんが、亡くなったコラムニストの山本夏彦氏は、その代表でしたね。週刊新潮を、山本氏のコラムを読むだけのために買い、ほかの記事はついでに読んでました。
投稿: tak | 2007年11月28日 10:55
>亡くなったコラムニストの山本夏彦氏
コラムニストではありませんが、政治評論家の三宅 久之氏にも、同じようなことが言えるかも知れませんね。
投稿: alex99 | 2007年11月28日 11:51
alex さん:
すみません、TVタックル とかほとんど見ないもので、三宅久之氏については、よく知らないんです。
つい最近まで、十朱久雄が田嶋陽子と喧嘩してるのかと思ってたぐらいで・・・
(若い人には通じないボケですね ^^;)
参照:http://homepage2.nifty.com/ysotake/page434.html
投稿: tak | 2007年11月28日 12:49
Insomnia Cafeさんのところにいってみました。
コメントしようと思ったのですが、あちらはすごく混んでるようなので(失礼)。
ブロガーといってもいろんなタイプの方がいらっしゃる。
ぼくなんかは毎日毎日日記を付けていられるタイプ(書かないと寝られないタイプ)なので、ただただ埒も明かぬことを書いているのかなあ。
日記を付ける習慣のない人は好奇心で始めてみても難しいでしょう。
コミュニケーションのツールとしては、消極的な力しかない(かな?)
それでも微かながらに人間関係ができあがるし、ブームが去ってくれてなんとなくほっとしています。
本当に興味を持ってくれる人だけが残ってくれてよかった。
>つまり、どんな素材でも、ちょっとひねってブログにしてしまえる 「独自の視点」 をもっているかどうかということだ。ブログが継続する土俵は、いろんなブロガーのいろんな 「ひねり方」 を楽しむメディアということなんじゃないかなあ。
というお話にはいたく共感。
「2ちゃん」にも感じますが、いろいろな事件等について、ありきたりの反応しかしないステレオタイプのブログは自然に消えていく。
独自の視点や感性というほどのことでもなく、もうちょっと自分で考えてみればっていいたくなります。
間違っててもいいから、条件反射みたいに単純に反応するなよって感じてます。
投稿: osa | 2007年11月29日 00:59
> osaさん
ふだんはガラガラなんですが、たまたま・・・。
次回、よろしく。
投稿: alex99 | 2007年11月29日 10:03
osa さん:
osa さんのブログは、なるほど、日記なんですね。
それにしても、あれだけ写真が多いのに、表示にあまり手間がかからないのは、なかなかいいですね。
私は逆で、これまで日記というのは続いたことがないんですが、ブログだけはなぜか続いています。
2ちゃんねるは、確かにステロタイプの羅列になりがちですね。文体まで画一的な気がします。
当ブログにも時々、「~~だな。~~だろ」なんて感じのちょっと失礼なタメ口コメントが時々付きますけど、あれって、2ちゃん系なんでしょうね。
2ちゃんねるの外に出たら、外の礼儀をわきまえてもらいたいものです。
投稿: tak | 2007年11月29日 10:41
alex さん:
>ふだんはガラガラなんですが、たまたま・・・。
いやいや、alex さんのところが 「ガラガラ」 というなら、うちなんか、「空き家」 ですよ。
投稿: tak | 2007年11月29日 10:42