« 大連立待望論は、案外根強い | トップページ | 「お友達と同じ服が欲しいの」 という女性 »

2007年11月21日

ミシュランガイド 東京版ねえ

「ミシュランガイド」初の東京版が話題になっている。東京の星付きレストランは、1都市としては世界最多の 150店だそうだ (参照)。

東京という都市の規模と、日本料理、寿司などを含むありとあらゆる種類のレストランの集積を思えば、そのくらいの数はあっても当然だろうが、どうせ私にはあまり縁がない。

「どうせ縁がない」と思いつつ、紹介されたレストランの名前を追っていると、1つ星の付いた 117店のうちに行ったことのある店を 3店も発見して、我ながら驚いた。蕎麦屋 2店に、フランス料理屋 1店である。長く生きていると、それくらいのことはあるみたいなのだ。

3店のうち、蕎麦屋 2店は自分の金で食ったが、フランス料理は以前の会社の金である。自分の金で食った蕎麦は大層おいしく、満足したが、会社の金で食ったフランス料理は、あまり印象に残っていない。だから私はメシは自分の金で食うべきだと、常日頃から思っているのである。

実は、1つ星のフランス料理屋で過ごした 1時間余りは、私にとっては今でも「無駄な時間を過ごしてしまった」と悔やまれる時間である。それは料理が不味かったということではなく、その食事の間に、優雅な料理にふさわしい会話がちっとも弾まなかったからだ。要するに、あまり楽しい顔ぶれじゃなかったのである。

私は、旨い酒と旨い料理は、楽しい会話、談論風発と切り離しては考えられない。ただしんねりむっつりと、「さすが旨いね」「すごい、おいしいね」 なんて、べたべたに即物的でふくらみのないことばかり言い合いながらメシを食っても、全然つまらないじゃないか。

メシというのは気の合う仲間と、目の前の料理から飛んだ話題で盛り上がりながら食うのが、一番旨いのである。だから 3つ星だろうが 1つ星だろうが、大衆酒場だろうが、まともに料理してありさえすれば、ランク付けに頓着するなんてことは、それほど意味のあることとは思えないのだ。

話のふくらまない顔ぶれと 3つ星レストランで、接待費でメシを食うよりは、1人で静かに想像力をふくらませながら、無印のめし屋で自前で食う方がずっとましだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

|

« 大連立待望論は、案外根強い | トップページ | 「お友達と同じ服が欲しいの」 という女性 »

グルメ・クッキング」カテゴリの記事

コメント

その通りですね。
私も今日は、食事とおしゃべりのテーマでブログを書こうと思っていたところです。

ミシュラン東京ですが、フランス人に日本料理の本当のうまさがわかるかどうか?私は少なからず疑問に思っています。
洋食とは味覚の基礎がちがうと思うのです。
ちなみに私は洋食の方が好きな男です。

投稿: alex99 | 2007年11月21日 10:45

すると、気の合う話の弾む仲間と行く3つ星レストランと、同じ仲間と行くそのへんの飲み屋では、どちらが良いのか、というのが気になりますね(笑)

投稿: 山辺響 | 2007年11月21日 14:55

alex さん:

alex さんのブログの方にもコメントさせてもらいましたが、日本料理って、確かに 「日本文化の身体性」 で食わないと、わからないところがあるかも。

ちなみに私は、食い物なら、和洋中、なんでもござれです。

投稿: tak | 2007年11月21日 21:32

山辺響 さん:

>すると、気の合う話の弾む仲間と行く3つ星レストランと、同じ仲間と行くそのへんの飲み屋では、どちらが良いのか、というのが気になりますね(笑)

あはは (^o^)
そりゃ、安くて旨いにこしたことはありません。
たまには目先を変えて、ちょっと緊張感のあるレストランもいいかもしれませんが。

でも、私は 1つ星までしか行ったことないんで、3つ星は、空想の領域です。

投稿: tak | 2007年11月21日 21:37

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ミシュランガイド 東京版ねえ:

« 大連立待望論は、案外根強い | トップページ | 「お友達と同じ服が欲しいの」 という女性 »