「ブログ限界論」 について考えてみた
「ブログ限界論」 という言葉が目に止まり、ちょっと興味を覚えてクリックしてみたら、RTCカンファレンスが 11月 15日に、このタイトルでイベントを開いているのだった (参照)。
「最近ブログつまらなくないですか?」 との書き出しで告知してある。うん、確かに、最近ブログの熱気が冷めてきてると思う。
シロクマ日報の小林啓倫氏が、このイベントについて、「ブログはつまらなくなった方がいい」 というタイトルでレポートしておられる。小林氏は、ブログの扱うテーマが非常に 「拡散」 していて、一人一人の読者には興味を感じられないものが増えてきているといったことを指摘し、次のように書いている。
逆に 「拡散と浸透」がブログを 「つまらない」 と感じさせるようになった原因であれば、それは喜ぶべきことではないでしょうか。(中略)
もしかしたら、僕らが 「ブログがつまらなくなった」 と感じれば感じるほど、僕らの知らない世界で 「ブログって面白い」 と感じる人が増えているのかも。
小林氏は、ブログは限界に達しているわけではなく、むしろより広範囲に普及しているのではないかと指摘しているのだ。なるほど、それが時として 「ノイズが増えたなあ」 と、うっとうしく感じられたりもするわけだ。
しかし、それとは別の視点もある。GIGAZINE (参照) は、「現在の日本のブログの限界、リアル社会に影響力を与える力が弱い」 という意味での 「限界」 を指摘し、次のように述べている。
現在の日本のブログは現実世界、特に 「政治」 に対して多大な影響を与えるレベルには到達していません。ネットにおける意見発信システムであるはずのブログの質が低くなっている (信頼が低下している) ため、「ネット上でどこかの匿名なやつらが無責任にわめいているだけ」 という扱いを受けるわけです。
まあ、こんなところも確かにあって、私も「選挙に Web を使わせろ!」という、ちょっとだけ社会的変革を志向しているようにみえなくもないサブサイトを運営しているが、めちゃくちゃ本気でやるほどには、ブログの力を過大評価しているわけじゃない。
ちなみに、私が「最近ブログの熱気が冷めてきてる」と思ってしまうのは、単に、毎日楽しみに巡回していたブログの管理人さんが、ちょっと息切れしつつあるのか、更新が希になってきたりしているせいでもある。案外個人的な印象なのである。
多分、息切れしたブログの数以上に、新しい面白いブログが増えているのだろうが、それらを探し出すのは、なかなか骨が折れる。ブロゴスフィアの規模が今ほどでなかったころは、それほど難しくなかったのだが、今では規模が大きくなりすぎてしまった。
というわけで、シロクマ日報が「そんな状況でも自分にとって楽しい・自分が読みたいブログが簡単に見つけられるような仕組みが整備されるのが望ましい」 と述べていることに、私は激しく共感する。
この点に関して、GIGAZINE は、さらに次のように突き詰めている。
GIGAZINEは 「情報流通業」 にあたるのではないか?と考えることがあります。見つけた面白い情報をピックアップして記事化して掲載し、より多くの人の目に触れるように、情報を流通させていくわけです。おそらく、この 「面白いもの・価値あるものを効率的に見つけ出す仕組み」 というのは究極的には各個人の細分化された嗜好に特化されたものになっていくため、最終的には一次情報やオリジナルコンテンツの発信を行うところ 「だけ」 が生き残ることになるかもしれず。つまり、オリジナルの情報を提供しないニュースサイトやブログは将来的に 「各個人の嗜好に合わせて面白いものをピックアップするための全自動システム」 に取って代わられて滅びていくのではないか?という予想が可能です。
なるほど、インターネットやブログの世界の変化や栄枯盛衰は激しいので、そんな 「全自動システム」 が登場しないとも限らない。
しかし現時点では、各個人の志向に合わせてメニューを提示してくれるようなプログラムを使ってみても、「お前、俺の好みってものを、誤解しているんじゃないか?」とか「てめぇ、俺を見くびってるな!」とか言いたくなってしまうのだよね。
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コメント
「ジャズは終わった」みたいにムーブメントは終わるんじゃないでしょうか。
面白い人は一定数しかいない→その人達が新しい技術に飛びつく→やり尽くして去っていく、といった感じでしょうか。
特に日本の場合、発言の自由度が低いので窮屈ですよね。
実は個人の意見なんてものは必要とされてないのかもしれません。
投稿: fb | 2007年11月26日 17:32
fb さん:
>「ジャズは終わった」みたいにムーブメントは終わるんじゃないでしょうか。
うぅむ、ちょっと疑問。
ジャズは音楽上の 1ジャンルだけれど、ブログは、「ジャンル」 というより、「メディア」 なんじゃないかと思います。
テレビというメディアでは、ジャズをやったりロックをやったりできるわけですが、「紅白歌合戦」 がとんでもない視聴率を取ったりしたのは、過去の伝説になりました。
その意味で、「拡散」 しているという指摘は正しいと思います。
>特に日本の場合、発言の自由度が低いので窮屈ですよね。
>実は個人の意見なんてものは必要とされてないのかもしれません。
日本では、オピニオン的なもののニーズが低いというのは、ブログに限ったことではありません。それとは違った可能性は、あると思います。
投稿: tak | 2007年11月26日 22:13
ブログ熱は、それを書く能力と意欲のある年令層において、ほぼ一巡したのだと思います。
だれがなんと言おうと(笑)、ブログは一時の熱気を失っていると思います。
一時的にブログを書く人間と、ずっと書き続ける人間とは、すこしちがうのかも知れないと、このごろ考えはじめています。
投稿: alex99 | 2007年11月26日 23:46
alex さん:
>一時的にブログを書く人間と、ずっと書き続ける人間とは、すこしちがうのかも知れないと、このごろ考えはじめています。
なぁるほど。それは確かにあるでしょうね。
要するに、始めてはみたけれど、じきに息切れする層と、じっくり続けてる層とが、常にあると。
なので、常に新規参入はあるけれど、その中で、継続する層は限られていると。
そして、ちょっと前のブームのときにどっと新規参入したブロガーの多くが息切れしてしまったために、バランスが大きく崩れてしまうタイミングに差し掛かっていて、今はことさらにマイナスイメージが目立っているのだと考えれば、かなり納得いきますね。
要するに単純なお話なんでしょうね。ことさらに 「限界論」 なんてセンセーショナルなことを言う必要があるものか。
そりゃ、なんにでも 「限界」 はあるんですからね。
投稿: tak | 2007年11月27日 10:27