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2007年12月12日

「ガラパゴス化」 という言葉

「ガラパゴス化」という言葉がある。日本の多くのツール、システム、政治経済の制度までが、世界の主流からはずれて、特殊な進化を遂げているという意味で用いられる。

試しにググったところ、「日経エレクトロニクス」04年 3月 15日号の携帯電話に関する記事(参照)辺りが、その端緒のようだ。

この言葉、やはり、日本の携帯電話について語るときによく用いられるようだ。日本の「ケータイ」は、ものすごく薄くて小さくて高機能なのだが、世界の標準からみるとかなり特殊な規格のようで、日本のケータイ・ベンダーの世界市場でのシェアも驚くほど小さい。このままでは国際競争に勝ち残れないと、警鐘が鳴らされている。

ケータイだけではなく、日本の流通システム、商慣習から、大きな意味での市場のあり方、経済システム、政治状況まで、ガラパゴス化はかなり進展していて、世界の常識から見ると特殊な発展を遂げているとの指摘は、とても多い。なにしろ、かなり前から「日本の常識は世界の非常識」と言われていたし。

日本のガラパゴス化を支えているのは、一重に 1億 2000万人を擁する市場規模と、日本語という世界的にはとても特殊な言語だと思う。日本語は最大の非関税障壁になっている。

国際市場でいかに評価の高い製品、システムでも、日本語化されていなければ、日本市場への参入は至難の業である。PC という市場でも、DOS-V で日本語対応が OS のレベルで標準対応されるまでは、ほとんど NEC「キュッパチ」の独占市場だった。DELL や HP の安い PC を気軽に買えるようになったのは、ここ数年のことである。

英語は実質的な国際語だが、日本人はこの国際語を必死になって学ぶ必要がない。なぜならば、このそれなりの規模をもつ日本市場においては、日本語の読み書きができれば、ほとんどのことはできてしまうからだ。

母国語さえできれば、大抵の用は足りてしまうというのは、英語圏以外では日本と、あとはせいぜい中国ぐらいのものだと言われる。他の国では、最新の情報を得ようと思ったら、英語の新聞、雑誌、書籍を読まなければならない。ところが日本では、大抵の情報はちょっと待てば日本語に翻訳されてもたらされる。

そんなわけで、自動車やエレクトロニクスなど、輸出産業と言われる産業を除けば、気心の知れた市場さえ相手にしていればなんとか食っていける。わざわざ英語を使って国際競争のまっただ中に飛び込む必要はない。

しかし日本もそのうち人口減少時代に入る。人口減少に伴って、国内市場の規模だって当然縮小する。そうなれば、海外市場に打って出ざるを得ないという状況になる。

その日は必ず来るのだから、日本もガラパゴス化をのほほんと謳歌するパラダイス鎖国状態から脱却して、国際標準に準拠したシステムを整えなければならないという指摘は、最近あちこちでなされている。

しかし、海外に市場を求めなければならないほど、国内市場の規模がシュリンクするのは、少なくとも何十年か先の話である。何十年か先の国際標準というのは、今の標準とは、多分違っているだろう。

あまり早めに国際標準準拠なんてことをしてしまうと、本当に必要になった時には、それがレガシー・システムになっていたなんてことになりかねない。

それに、外資が日本に進出して、国際標準とやらを押しつけてきても、ウォルマートが未だに日本市場に根付けないように、いくら外圧でも、日本市場の特殊性を根本から変えるのは大変だ。不可能ではないにしても、めちゃくちゃ時間がかかる。

現場の感覚では、多分、日本の内側からの自律的な国際標準化が軌道に乗るまでと、同じぐらい時間がかかるだろう。てことは、案外 「自然に成り行きまかせ」 というのが正解なんじゃなかろうかという気もするのである。

国際化はもちろん必要である。しかし、ガラパゴス化を心配するあまり、さしあたりあまり国内ニーズのない国際標準化なんてことを、無理にあせってする必要は、一般的には、まだないんじゃないかと思う。

むしろ、ガラパゴス化の中で創出されたものが、そのユニークさ故に国際市場で評価され、インターナショナル・スタンダードになってしまわないとも限らない。アニメとかね。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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マーケティング・仕事」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。

なんだか『柔道』の移り変わりを想像しちゃいます。

投稿: オッチャン | 2007年12月12日 08:05

デファクトスタンダードを握るってのは大きいけど、マーケティング的には、そういうマス市場よりも利益率の高いニッチに注力するというのも「あり」だという気がします……。何にせよ、

>案外 「自然に成り行きまかせ」 というのが正解なんじゃなかろうか

というのは卓見ですね。

投稿: 山辺響 | 2007年12月12日 09:29

オッチャン:

柔道は、確かにガラパゴス化の道に足を踏み入れているのかもしれません。

あるいは元々ガラパゴスだったのか。
ガラパゴス発祥のものが、外の世界でどんどん進化して、そっちの方が国際標準になりつつあると。

要するに、日本の柔道指導者たちの外交下手が問題なんでしょうね。

投稿: tak | 2007年12月12日 10:32

山辺響 さん:

>>案外 「自然に成り行きまかせ」 というのが正解なんじゃなかろうか

>というのは卓見ですね。

成り行きの注意深いウォッチングは、とっても大切でしょうけどね。

投稿: tak | 2007年12月12日 10:37

>国際化はもちろん必要である。しかし、ガラパゴス化を心配するあまり、さしあたりあまり国内ニーズのない国際標準化なんてことを、無理にあせってする必要は、一般的には、まだないんじゃないかと思う。
ーーーーー
私は、希少種の【英語第二公用語論】者です。(笑)
長期スパンで英語教育を考えてゆくべきだと思っています。
現在、韓国とは英語教育で大差がついています。
今回の韓国訪問で実感しました。
情報収集のツールは、やはり英語でしょう?

おっしゃるような【あまり国内ニーズのない国際標準化】は、急ぐ必要が無いかも知れませんが、教育は時間がかかりますからね。
英語がこれほど通用しない先進国は日本ぐらいでしょう。
英語格差を背負ったままでは、近い将来、いろいろな分野で、日本の優位点も少なくなるのでは?


>むしろ、ガラパゴス化の中で創出されたものが、そのユニークさ故に国際市場で評価され、インターナショナル・スタンダードになってしまわないとも限らない。アニメとかね。
ーーーーーーー
しかしそれは、部分的なもので、総体は無理です。
否応なしのグローバル化にとりあえず ad hoc で対応し、独自の文化は大事にすればいい。
やればできるのです。
気概があればね。


投稿: alex99 | 2007年12月12日 18:24

ちょっと横レスですけど
英語の「第二公用語化」は、たぶん今後進んでいくだろうと思います。
これまでの日本の英語教育がだめだった一番の理由は、戦後の一時期や一部の地域、一部の人々を除いて、生きた英語に普通に触れる機会がきわめて少なかったせいでしょう。
それは、takさんが指摘されているように、「日本人はこの国際語を必死になって学ぶ必要」がこれまでほとんどなかったからでもあります。
「帰国子女」と呼ばれる海外経験者、留学経験者などが増え、国内の外国企業、外国人居住者や旅行者も増えてきて、ようやくその社会的環境が整ってきたということが言えるんじゃないでしょうか。
もっとも文科省がなにを考えているかは分かりませんけどね。

投稿: かつ | 2007年12月12日 21:52

alex さん、かつ さん:

確かに、英語の必要性は今後さらに高まっていくだろうと思います。

例えば、PC が急にブルースクリーンになって、英語が表示された時、「何じゃこりゃ? わけわからん!」 とパニくるか、「ふむふむ」 で済むか、それだけでも、やっぱりちょっと違いますよね。

私は一時期、外資系の団体にいて、その間、毎日毎日英語を使ってたんですが、それは財産になっていると思います。

山辺響さんへのレスで触れた 「成り行きのウォッチング」 にも、英語は必要ですからね。

投稿: tak | 2007年12月12日 22:27

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