「鏡衆」 が台頭してるんだってさ
電通消費者研究センターが、またまた目新しくてかつ怪しげな通俗マーケティング用語を発表してくれた (参照)。
互いに共振する消費者 「鏡衆(きょうしゅう)」 が台頭し、世の中を動かし始めているんだそうだ。電通のニュースリリースを見て、共感を覚えるようなら、あなたも立派な鏡衆だ。
このリリースは、今年 7月と 9月の 2回実施された「電通・新大衆調査」によって見えてきた「情でつながろうとする新しい大衆意識の芽生え」と「お互いに影響を与え合いながら共振する消費者 = 鏡衆」の台頭という現象をレポートしたものだそうである。
調査結果のポイントは、1に "情動化社会"、2に "「共振する消費者」の台頭" だそうだ。
「情動化社会」とは、「情報化社会」のもじりなのかもしれないが、以下のような現象なんだそうである
現在の消費者が、様々な社会現象的ブームにひかれるのには確固たる合理的理由はなく、「何か引きつけられるものを感じるから(44%)」「わくわく・エキサイティングな気分になれるから(32%)」など情緒的なものに突き動かされている様子がうかがわれます。
ふぅん、そんなことは別に「現在の消費者」でなくても、今に始まったことじゃないと思うがなあ。それとも、電通はこれまでの「社会現象的ブーム」が「情緒的なもの」よりも「合理的理由」によって生まれたとでも位置づけているのだろうか。
リリースはまた、次のように述べている。
また、3~5年前と比べて強くなった気持ちとしては、「価値観を共有できる仲間がほしい(35%)」「人とつながって心情や気持ちを交換・交流させたい(32%)」が上位となり、皆と共有できる目標や価値観が無くなってきた中で、情でつながろうとする人々の姿が読み取れます。
「3~5年前と比べて強くなった気持ち」といっても、どれくらい顕著に強くなっているのかが示されていないので、なんだかわけのわからないレポートになっている。
もしも、一気に 10ポイントぐらい上昇しているのなら、「へぇ、そうか!」と思うが、それは「3~5年前には、この 2つの項目が、そんなに低かったのか」 という驚きの方が強いためだろう。つまり、特筆するほどのお話かなあと思うのだ。
共通性探しの時代には、「人からの影響を取り入れてうまくレスポンス&発信していく『共振力』が重要」 になってくるのだそうだ。このあたり、具体的にどういうことを言っているのか、よく読み取れない。
気分としては、「他からの影響を上手に咀嚼して自分のものとして消化し、さらに他に向けて発信する影響力をもつ」という自律的なことよりも、「とにかく『空気を読む』ことに専念し、付和雷同して、空気を読めない者にも押しつける」というベクトルの方が強いように思う。
読むべき空気の「場」が広いか狭いかは、その時々で変わるだろうし、もしかして、その「場」というものがフツーの場なのか、非フツーの場なのかが、とても重要なファクターだったりするかもしれない。
薄っぺらな読み方をすれば、「鏡衆」というのは、いつの時代にも存在する「流行に弱い人たち」の別の言い方に過ぎず、深読みすれば「ファシズムの大衆心理」を想起させる「郷愁」あふれる理論になってしまうかもしれない。
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コメント
「情動化社会」という言葉には、思わずぎょっとする響きがありますね。
ところが、このレポートを書いた人は、どうもこの言葉にたいした意味を込めているわけでもなく、あっけらかんと何の気なしに使っているように見えます。
「情動」とか「共振」などという概念についても、どれだけの理解を持ち、どれだけの意味を込めているのかすら不明です。
言葉が軽いのか、単に無知なのか、あるいはその両方のようにも思えます。しかし、だとすると、むしろ期せずして「大衆社会論」となっているところに、このレポートの大きな意味があるのかもしれませんね。
投稿: かつ | 2007年12月10日 02:09
かつ さん:
>言葉が軽いのか、単に無知なのか、あるいはその両方のようにも思えます。
あの世界の人たちって、エラソーなくせに、その実、かなり無知だったりします。言葉が軽いのは、職業病というか、生活習慣病というか… ^^;)
>しかし、だとすると、むしろ期せずして「大衆社会論」となっているところに、このレポートの大きな意味があるのかもしれませんね。
なるほど。言えてるかも。
投稿: tak | 2007年12月10日 07:45
興味深い話ですね。
私には、この国がいよいよ「思考停止」の社会になって来たというふうに理解出来ますが・・・。
投稿: Mikio | 2007年12月10日 08:39
Mikio さん:
>私には、この国がいよいよ「思考停止」の社会になって来たというふうに理解出来ますが・・・。
生まれてこのかた、一度も論理でものを考えたことがないみたいな人は、これまでだっていくらでもいたと思います。
ただ、最近は考えることなしに発信できるメディア、あるいはもっと進んで、「考えるなんて、くだらないぜ!」 というメッセージを発信するメディアが急激に増加しているということはいえますね。
ユング的な言い方をすれば、「情緒」 というよりは、「感覚」 という方が近い方が気がします。
「情緒」 を大切にしているなら、あんなに簡単に 「切れる」 はずがありません。エモーション・コントロールができないのは、感情・情緒よりも「感覚」(それも刹那的な) に頼って生きているからだと思います。
この点において、電通スタッフは、感情、情緒、感覚をはっきり区別せずに取り扱っています。私が 「通俗的マーケティング」 と断ずる所以でもあります。
投稿: tak | 2007年12月10日 10:24
とうとう、“二極化”の時代ですよ…。←かなり(自分自身)残念な発想です。
よく考えるか、そのときの気持ちで動くかということで、よく(とりあえず)考えてみる人よりも、その場の情動で動きを決めてしまうという人が増えた、という現れですか…。
まぁ、オッチャンも、『その場で決める』ことができない不安定さは、併せ持ってますが…。
投稿: オッチャン | 2007年12月10日 13:24
オッチャン:
いや、ちょっと待ってください。
念のため、【情動】 を Goo 辞書で引いてみました。
〔心〕〔emotion〕感情のうち、急速にひき起こされ、その過程が一時的で急激なもの。怒り・恐れ・喜び・悲しみといった意識状態と同時に、顔色が変わる、呼吸や脈搏(みやくはく)が変化する、などの生理的な変化が伴う。情緒。
うわぁ、「情動化社会」 って、コワイかも!
というか、元の意味を軽視して、「情報化社会」 にしゃれたのがみえみえ。
投稿: tak | 2007年12月10日 14:16
私はこのリポート(レポート?)の言ってることが、サッパリわかりません。
私、頭が悪そう。(泣)
投稿: alex99 | 2007年12月10日 21:24
alex さん:
>私はこのリポート(レポート?)の言ってることが、サッパリわかりません。
>私、頭が悪そう。(泣)
なんと頭のいいコメントでありましょうか (^o^)
書いている人の頭がいいとは思えませんので。
投稿: tak | 2007年12月10日 22:27
「鏡衆」。うーん。
内容はともかく、ケータイやネットの普及によって引きおこった、テレビや新聞など既存のマスメディアの影響力の低下に困っている広告屋の考えた苦しい言い訳、って、なんとなくわたしは感じとってしまいました。
投稿: まこりん | 2007年12月10日 22:50
まこりん さん:
「広告屋の考えた苦しい言い訳」 な~るほど!
それは大きな要素かも。
投稿: tak | 2007年12月11日 00:48
今頃反応しますが、「鏡衆」って携帯の発達とも関係があるのかな、と思います。
「ケータイ小説」だけじゃなく、今ではネットする端末も携帯からがふえていますが、携帯画面に最適化した情報は大変に断片的かつ直情的なんですよね。そもそもハード的に、まとまった思考を促すようになっていないのです。
以前から、読書もしなければ手紙も書かない、「文字情報をさほど必要としない人々」はいたと思いますが、彼らには現実社会でのお喋りや暗黙裏の相互監視行為など「直接口語社会の文脈」がありました。
そのようなリアルな生活の現場で、あれこれもまれて育まれる社会性があったと思いますが、今は、「自分」だけの状態から、携帯でメールする、日記つける、小説書くと段階を踏んで、無前提な<発信型直情的共感世界>構築に熱心なのかな、と感じています。
投稿: ぽん太 | 2007年12月19日 19:27
「いよいよナントカ社会の到来」とかいっちゃって、「へえ、そーなんだ」とか思ってる間に、「あれ?通過列車ジャン」。
乗れなかったり、ほんとにきたのかなあ?
客も乗せないで「時代」とか「社会」とかつかの間の映像のように記憶にも残らない。
広告屋は現象を作る。
あるいは幻像を作る。
それはもっともらしいがのだが、だからどーした?
革命が起ころうがどうしようが、豆腐屋は豆腐を作ってるんだい。
投稿: osa | 2007年12月20日 02:06
ぽん太 さん:
なるほどね。
今の若い連中をみてると、「こんなに "言葉" に無神経なのに、よくまあ、メールなんかしょっちゅうし合ってるなあ」 なんて思いますが、ケータイの小さな画面に収まるほどの "言葉" でしかないんですね。
しかも、メールもらったらすかさずレスしないと、立場が危うくなるらしいから、考えずに機械的な反応をするしかないのかも。
投稿: tak | 2007年12月20日 16:16
osa さん:
広告屋のいつものやり口ではありますが、それでもこの 「鏡衆」 ってのは、空振り気味なんじゃないかと思いますよ。
出来が悪すぎのような気がします。
投稿: tak | 2007年12月20日 16:18
昔ばなしですが、いきつけのジャズ喫茶で風呂上りにビール飲みながら、「金がないよー」なんていってたら、隣にいた常連客が「仕事しない? 明日まで作ってきてよ。」
その人電通の人で、「ドンタコス」とか「バザールでござーる」とか作った方ですが、いっしょにミニコミなんかも作ってました。
ここでいうのもなんですが、広告屋さんって独特の価値観がある。
価値がないということを十分承知の上で実態のない「もの」を作っている。ひどく冷酷な軽佻さを持っている。
投稿: osa | 2007年12月21日 01:01
osa さん:
>ここでいうのもなんですが、広告屋さんって独特の価値観がある。
>価値がないということを十分承知の上で実態のない「もの」を作っている。ひどく冷酷な軽佻さを持っている。
実は、私の最初のキャリアは、広告屋なんです。セールス・プロモーションを主な業務とする中小代理店でしたが、大手代理店との付き合いもそれなりにありました。
というわけで、あの世界の雰囲気はよく知ってます。
で、この世界にいすぎたら、心も体も壊しちゃうという危機感を抱いて、さっさと転職したんですが、結果的には正解でした。
投稿: tak | 2007年12月21日 10:18