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2007年12月 7日

「確認する」 という動詞を確認してみる

橋下徹弁護士が、大阪府知事選に出るの出ないのと報道が迷走した挙句、結局出ないということに落ち着いた(参照)。

【12月13日追記: で、なんだかんだあって、やっぱり出るんだって。いい加減にしてもらいたいなあ】

毎日新聞は 「自民党幹部が 3日、橋下氏と会い、立候補の意志を確認した」 とまで報じていたようだが、このレトリックについては、「2通りに解釈できる表現」との指摘がある。

日本語のマチガイを論じる 「気になってならない」 というブログに注目しているのだけれど、このブログの 12月 6日付のエントリーで、「確認した」との言い回しについて次のように指摘されている。

「立候補しますか」 と問うだけで、返事がなくても立候補の意思を確認したことになります。

立候補する意思があったことが確認できた場合も立候補の意思を確認したことになります。

このように、意思があるのかどうか「聞いただけ」でも、あるいは一歩進んで「意思がある」と確かめられた場合でも、どちらも「確認した」という言葉が使えるとおっしゃっているわけだ。

うぅむ、確かにそれはその通りで、とても微妙な問題だと思う。「確認する」という動詞には、この言葉のもつ表面的な明快さとは裏腹に、とても曖昧なニュアンスがある。

ある事項について、「本当かどうか、ちょっと確認してみて」と頼み、しばらくしてから「確認しました」という返事が来ても、その時点では、それが本当だったのかどうか、わからない。「調べてみました」とか「よく聞いてみました」というだけのことだったりする。

「確認が取れました」という返事だと、まあ、「確認しました」よりは少しだけ確証がありそうな気がするが、それで 「で、結局、本当だったのか?」と改めて「確認」したくなるのが人情というものだ。

とにもかくにも、「確認する」というのはとてももっともらしく便利な言葉だけれど、その実、とても不確実である。

私の個人的な方法論かもしれないが、何を言っているんだかわからない曖昧な日本語を検証するときには、英語に訳してみると、どこが曖昧なのかを特定しやすい。そこで、ちょっとその作業をしてみよう。

「確認する、確かめる」という意味の英語の動詞に、"confirm" と "verify" がある。このどちらを使えばいいのか、まずそれが問題になる。「日向清人のビジネス英語雑記帳」というサイトに、この 2つの動詞の意味を説明したページがあり、次のように書かれている(参照)。

普通、confirm は「既に成立しているものにつき、駄目押しで再確認する、あるいは事実に相違ないと認める」ニュアンスがあるのに対して、verify は 「事実として確定されていないものにつき、それが成立しているかを検分して確定する」というニュアンスで使われていると思います。

かなりややこしいけれど、手っ取り早く言えば、「そうなのか、そうじゃないのか」と確かめるのが "verify" で、「そうなんだよね」と確かめるのが "confirm" である。今回の例でいえば、「立候補しますか」と尋ねるのが "verify" で、「立候補するよね」と確かめるのが "confirm" である。

日本語の「確認する」には、 "confirm" と  "verify" のどちらの意味もあり、文脈によって判断しなければならないのが辛いところだ。そして、毎日新聞は英語の "confirm" の意味で、「立候補の意志を確認した」と報じたわけだ。(結局はガセネタだったわけだが)

【12月 13日追記: で、ガセじゃなかったじゃん。毎日さん、よかったね】

ちょっと関連して、英語の "persuade"  という動詞についても述べよう。これを英和辞書で引けば 「説得する、説き伏せる」という意味なのだが、注意しなければならないのは、本当の意味は「説得に成功する」とか、「説き伏せて、相手の考えを変えることに成功する」ということなのである。

だから、"I persuaded him, but he didn't change his mind."  ("Persuade" したけど、彼は考えを変えなかった)という英文はあり得ない。もし、そう言ってしまったら、「じゃあ、全然 "persuade" してないじゃないか」とつっこまれることになる。

こういう場合は、"I tried to persuade him, but he didn't change his mind."  ("Persuade" しようと試みたけれど、彼は考えを変えなかった)みたいな言い方にしなければならない。

日本語の「確認する」や「説得する」には、英語の "confirm" や "persuade" のような明確な使い方に馴染まないところがある。この曖昧さが、ある時は日本語の美しさになるのだが、論理的な話をするときには、ちょっと気を付けなければならない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

>私の個人的な方法論かもしれないが、何を言っているんだかわからない曖昧な日本語を検証するときには、英語に訳してみると、どこが曖昧なのかを特定しやすい。
ーーーーー
本当にその通りですね。

「気になってならない」 というブログより、tak-shonai さんの掘り下げの方がずっとシャープで深い。
これは英語を使って考えた結果ですね。


私は一応、明晰な表現が好きな方ですので、あいまいな日本語の単語を使うとき、英語の英英辞典での説明のように、日本語で日本語を分析的に補足説明することがあります。
相当する英語を置いたりするときもあります。
そうしないと、日本語って、あいまいなままで、隔靴掻痒の感という、どうにでも解釈できるケースがありますね。

投稿: alex99 | 2007年12月 7日 21:06

alex さん:

あまりきっちりと論理で割り切る必要のない時、情緒優先の時というのは、日本語ってかなり便利ですけど、しっかり論理を伝えなければならない場合は、字数が必要になりますね。

通り一遍の言い方を、さらに突っ込んで説明しておかなければならなかったりして。

>相当する英語を置いたりするときもあります。

これって、かなり便利ですよね。

カタカナ語が多いというだけで忌み嫌う人もいますが、カタカナ語の多用で、簡潔に意味を明確化できるという効果も捨て切れません。

日頃カタカナ語が嫌いと言ってるオッサンが、野球やゴルフで変てこな英語を使うのを聞くと、私は嬉しくなったりします。

投稿: tak | 2007年12月 8日 00:58

ちょっと過激になりますが(笑)
ものごとをあいまいにする人って、私は好きじゃないんですね。
というより、キライです。

懐が深い、大物という日本伝統の受け止め方もあるでしょうけれど、どうもヤクザの親分などが理想像なのかも知れません。

主張の中身が、露儀軽で、明晰で、緻密で、逃げ隠れできないほどに rigid (ほらまた悪いクセが出た(笑))である場合、これは正々堂々でしょう?
フェアーそのものでしょう?
私は逃げないよ!と言う意思表示ですよね。

そういう表現形式が、日本の一流「文化人」がものにする日本語の論文・社説などには少ない、
なんだか、なにかを言いたいようでして、実はそれは私の、抜き差しならぬ本音・・・とまでは行かない・・・などと、こそくな逃げが二重・三重に張り巡らせている。

意思表示としてもあいまいだし、責任の取り方というポイントにおいて、欧米のそれとは、本質的に、決定的に異なる。


欧米のそれに比して、非常に恥ずかしい所です。

投稿: alex99 | 2007年12月 8日 09:25

alex さん:

失礼しました。
コメントを見落としていて、レスが遅れました。

私は、少しだけ日本的なのか、「俺はお前と違う」 と言いたいためにだけする (ように見える) 議論 (パリジャンが好みそうなやつ) は、うっとうしく感じます。

ただ、「結局何がいいたいの?」 と言われそうなことならば、よほど言外に言いにくいことを匂わせているのでなければ、あまり書く意味のないことだとは思います。

投稿: tak | 2007年12月10日 00:51

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