「セレンディピティ (偶然幸福発見能力)」
「気絶の如き眠り」 というのが時々あるが、昨夜がそうだった。この "Today's Crack" の更新は、たいてい前夜のうちに書き終え、日付が変わった直後、あるいは、翌朝目覚めてから、おもむろにサーバにアップすることが多い。
ところが、昨夜はどのようにしてベッドに入ったのかすら覚えていない。
で、今朝は「午前中の空いた時間に、なんとかちゃちゃっと更新しとかなければなあ」なんて思いながら家を出た。ネタさえあれば、電車の中でノートパソコンを開いて書き上げることはできる。ところが、今日はそのネタすら思い浮かばない。まあ、こんな日もある。
駅に向かう車の中で、TBS ラジオを聴いていると、月尾嘉男氏が「セレンディピティ」ということについて話をしておられた。恥ずかしながら初めて聞く言葉である。Wikipedia では次のように説明されている (参照)。
セレンディピティ(英:serendipity)とは、何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」のことを指す。(平たく云えば、「ふ」とした偶然をきっかけに、幸運を掴む事。)
要するに、「予期せぬ好結果」を見出す能力ということのようだ。日本語で言えば「瓢箪から駒」というのが、やや近いか。Wikipedia には、「偶然幸福発見能力」と8文字熟語として表現されることもある」という説明もある。なるほどね。
今朝のラジオでは、ペニシリンとポストイットが例として挙げられた。フレミング博士はブドウ球菌の培養をしていたのだが、アオカビが混じってしまって失敗した。ところがそれによって、アオカビの成分にブドウ球菌を死滅させる力があることに気づき、抗生物質ペニシリンの発明につながった。
ポストイットの例は、既に有名な話である。接着力が弱すぎて失敗作だと思っていたのが、その接着力の弱さゆえに新たな用途を開拓できて、ヒット商品になった。
ものごとがうまくいくかどうかは、「どの視点からみるか」によって、8割方決まってしまうのだそうである。
これを聞いていて、「セレンディピティ」というのは、以前に書いた「正常化の偏見 (normalcy bias)」(参照)というのと、表裏一体の関係にあると思った。
人間は、悪いことばかり恐れて取り越し苦労をしていては何もできないから、「自分だけは大丈夫」との確信に基づいて、いろいろなことを行う。それを「正常化の偏見」という。何の根拠もない確信だが、これがなければ、自動車の運転も、海水浴もできやしない。
「自分だけは大丈夫」 というストレートな思い込みと、予期せぬ好結果という、ちょっとねじれた話は、一見反対のことのように見える。しかし、予期せぬ好結果を生かすも殺すも、ある物事が失敗にみえても、「まてよ、これって、もしかしてイケてるかも」と思い返すオプティミズムがあるかどうかによる。
なるほど、人間はペシミスティックであるよりは、多少ノー天気でいるぐらいの方がいいのかもしれない。私にしてもブログを更新せずに寝てしまったおかげで、こんなにいいネタに巡りあえたのだしね。
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コメント
いくつになっても、そそっかしくて、失敗も多い私ですが、こんな言葉があったのですね、セレンゲテイじゃなくて、セレンディビティ。心して噛み締めてみたいと思います。
投稿: KEICOCO | 2007年12月 6日 11:59
KEICOCO さん:
「セレンゲティ」 って、確かアフリカあたりのなんだかだったよなあと思ったものの、自信がもてなくてググって見たら、なぁるほど。
マサイの言葉で 「なんにもない」 「からっぽ」 を意味するというんですね。広大無辺の土地ということだったのか。
投稿: tak | 2007年12月 6日 14:32