お父さんの中にいるサンタクロース
私の 「知のヴァーリトゥード」というサイトには、街にジングルベルの流れる季節になると妙に賑わうページがある。「サンタクロースは本当にいる!」というページだ。
普段は 1日に 2~3 アクセスあれば上等のページに、11月末からは 30~40 のアクセスがコンスタントに集まる。
12月中旬になると、1日のアクセスが 100を超える。そして、25~26日を過ぎて、大晦日、正月になると、いつもの 1日あたり 2~3 アクセス戻る。もろに「シーズンもの」である。
しかしこのページは、私のサイトの中で最も美しいページである。子供に「サンタクロースって、本当にいるの?」と聞かれたら、「サンタクロースは、本当にいるんだよ」と、こんなふうに答えてあげればいいという、私の心からの提案だ。
目には見えなくても、サンタクロースは、普遍的存在として、世界を包む愛として、「いる」のである。そして、子どもたちに届けられるクリスマスプレゼントは、たとえ直接的には父親や母親がどこかのお店で買ってきたものであったとしても、それは紛れもなく「サンタクロースからのプレゼント」なのだ。
それは、田舎のおじいちゃんからの贈り物が届くとき、それは、宅急便のお兄さんが届けてくれているとしても、紛れもなく「おじいちゃんからの贈り物」であって、宅急便のお兄さんはその仲立ちをしてくれているだけであるのと同じ事だ。
お父さんが買ってきたものだったとしても、お父さんは「サンタクロースからのプレゼント」を届ける「仲立ち」をしているのである。
そのことを話してやれば、たとえ子供と一緒にクリスマスプレゼントの買い物に行って、子供の目の前でそれを買ったとしても、それはやっぱり「サンタクロースからのプレゼント」なのだ。
だから、クリスマスプレゼントをしてあげる親は、「俺が買ってやってるんだ」なんて思ったら大間違いである。そんなのだったら、買ってやらない方がましだ。サンタクロースの愛を我が子に届けるために、その仲立ちをさせてもらってるんだと思うのが正解なのである。
そう思うことで、子供だってお父さんの中にサンタクロースの大きな愛を見いだす。目には見えないものが、心で見えてくる。そうなってしまえば、「サンタクロースって、お父さんなんだね!」ということでも、十分に OK なのである。
サンタクロースの愛は「ユビキタス(遍在)だから、お父さんの中にあってもそれは当然のことなのだ。
なお、ここでは便宜上「お父さん」で語らせていただいたが、お父さんのない子は、お母さんでも、あるいはお父さんかお母さんの代わりの人でも、誰でもサンタクロースの愛の仲立ちになれることは言うまでもない。
詳しくは、改めて「サンタクロースは本当にいる!」をご覧いただきたい。
| 固定リンク
「哲学・精神世界」カテゴリの記事
- 「陰謀論を信じる人」に関する「面白くない」研究結果(2023.11.03)
- 「言っちゃいけないこと」を言っちゃう「正しい人」(2023.10.21)
- アメザリを踏みつぶすことと、「いじめ」の心理(2023.09.04)
- 「頭で考えない」ことと「スパイト(いじわる)行動」(2023.01.13)
- スーパースターとなって「暫らく〜ぅ」と叫ぶ(2023.01.01)
コメント
よいお話でした。
ぼくは、子どもたちにずっとシラを通しています。
20歳の娘にも、ぼくはサンタではないと。
でも、このお話でちょっとすっきりしました。
投稿: osa | 2007年12月 4日 00:08
以前からこの説明は子供に対してはとても説得力があるだろうと感じ入っていたのですが、今回は、
>だから、クリスマスプレゼントをしてあげる親は、「俺が買ってやってるんだ」 なんて思ったら大間違いである。そんなのだったら、買ってやらない方がましだ。サンタクロースの愛を我が子に届けるために、その仲立ちをさせてもらってるんだと思うのが正解なのである。
ここに感銘を受けました。自分が恩恵を授けるのではなくて、他のもっと上位(もしくは昔)の人から自分が受けた恩恵を子供に「パス」する感じでしょうか(なんか内田樹先生みたいですが)。
投稿: 山辺響 | 2007年12月 4日 16:49
osa さん:
経済人類学の創始者、カール・ポランニーは 「木を見れば森が見える」 と言いました。
一本の木の中には森の本質も宿ってるんでしょう。
お父さんを見れば、サンタさんも見えるかも。
投稿: tak | 2007年12月 4日 22:01
山辺響 さん:
>他のもっと上位(もしくは昔)の人から自分が受けた恩恵を子供に「パス」する感じでしょうか
うぅむ、なかなかいい感じの表現ですね。
いい感じでパスしたいものですね。
投稿: tak | 2007年12月 4日 22:04