「波動測定器」を巡る冒険
何しろ伝聞(あるいは、伝聞の伝聞? その辺、不明瞭)なので、真偽のほどは明らかでないのだが、世の中には「波動測定器」というものがあるらしい。
で、もちろんそれは、かなり「トンデモ」っぽいのだが、それを巡る現象というのは、なかなか興味深いものがある。
ああ、私は「水伝」を巡る「科学 vs 疑似科学」のマターなんて、元々それほど興味がなくて、深入りするつもりもなかったのだが、ちょっと覗いてみたらその周辺事情が存外面白いので、今月、これで 4本もそれ関係の記事を書くことになってしまった。
だが、私がブログで関わっているのは、疑似科学の「周辺」というつもりなので、そりゃ、疑似科学批判の方々みたいに、先鋭的に切って捨てるみたいな書き方はしない。それで、こんな 批判も受けてしまうのである。
まあ、確かにこの件に関する私のエントリーのトーンが無責任に見えても、そりゃしょうがないのだけれど、別に私は「科学」にも「疑似科学」にも、全然「当事者」としてなんかタッチしてないのだから、どちらにも義理立てする必要がないのである。
件のブログは、 「結局のところ、ニセ科学を肯定する側も批判する側も、根底の部分では科学に基本的な信頼を置いている」ということを前提としているようだ。「そうしないと、ふつうの生活が成り立たないから」だそうだ。
ただ、それってちょっと我田引水っぽい。こう言っちゃなんだが、私はそれほど「科学に信頼をおいている」というわけじゃない。(いや、それじゃ語弊があるから、「科学以上に信頼をおいているものだっていくらでもある」と言い換えさせてもらおう)
それでも科学的法則は、別に私が信頼をおこうがおくまいが、信頼のおきかたが中途半端だろうが、絶大な信頼をおいている人と区別なく、いつもは淡々と働いてくれているので、ふつうの生活はできているのだけれどね。
ただ正直に言ってしまうと、私が出張先で必ずと言っていいほど(天気予報が何を言っていようと)天気に恵まれるのは、一重に自分が「晴れ男」だからなどと、かなり非科学的なことを相当本気で信じている。
だって、これほどの確率で天気に恵まれたり、一度なんか、大型台風さえ予想進路を大幅に外れて避けて通ってくれたり(参照)したのは、「自分が晴れ男だから」と説明するのが最も端的にわかりやすいじゃないか。
だから、科学に関する「当事者意識のなさ」を「不誠実」呼ばわりされても、ちょっとなあというところなのだ。もしかしたら、私の立場は見方によっては水伝信奉者の方により近く見えたりなんかするかもしれないので、その辺り、どうぞよろしく。
何しろ私は、5年ちょっと前に、少なからぬキリスト教聖職者が聖母マリアの処女懐胎に懐疑的であるというニュースを聞いて、本気で驚いてしまったという人間である。「よくまあ、自分自身が信じてもいない教義を、いけしゃあしゃあと説くことができるものだ」と、難じているのである。(参照 その下に表示される記事にも注目!)
おっと、横道に逸れてしまった。「波動測定器」の話をしようとしていたのだった。
これは大分前に聞いた話なので、冒頭でお断りしたように、伝聞だか、そのまた伝聞だか、その辺りは私もはっきりしないため、話半分で流してくれていいのだけれど、波動測定器というものを入手した方がおられるのだそうだ。まったく物好きなことである。
で、その波動測定器で、あるお寺さんの御守りを測定したら、ものすごく針が振れて、その近くにある別のお寺の御守りではさっぱりだったんだそうだ。針の振れなかった方の寺の坊主は、あまり評判がよろしくない生臭坊主だったという。
それから、その波動測定器の持ち主の信仰する宗派の最も重要とされるお経の経本を測定したら、「針が振り切れるほど波動が高かった」のだそうだ。それがどういう意味をもつのだか、私にはよく理解できないのだが、その測定器の持ち主はとても気分よくしたらしい。
で、それを聞いた私は、これこそ「都市伝説」というか、現代の民間伝承というに値するかもしれないと、とても興味深く思ったのだった。測定結果とやらが、その測定器の持ち主の主観丸出しっぽいのが、かなり気にかかったのだけれど、そうした怪しさも含めてますます面白い。
私は、民間伝承はフォークロア資産としてしっかりと保存しておきたいと願うものである。しかも、「生きたフォークロア資産」 として伝えるためには、本当にそれを信じる人がいてくれないと困る。そうでないと、「死んだ資産」 になってしまう。
それを信じる人が多少いたところで、迷信だらけの世の中になるなんて心配はいらない。人間はそれほどお馬鹿じゃないから、科学とファンタジーはきちんと語り分けできるのである。いわば使う筋肉が違うのだ(たまに同じ筋肉を使う人がいるので、困るのだけど)。筋肉はバランス良く鍛えた方がいい。
というわけで、その測定器が 5000~6000円ぐらいで買えるのなら、私もぜひ 1台欲しいと思ったのだが、伝え聞くところによると、200万円近くするとかいうので、「それじゃ、売れんわ!」と、ちょっとむかついた。「もっと量産努力して、コスト下げろよ!」と。
まあ、実際には「あまりにも売れない」から、需給を無視した高い値段を設定せざるを得ないということもあるのだろう。つまり、まともなマーケットが形成されていないということだ。惜しいことである。
できれば、一家に 1台ぐらいまで普及させ、同じものをみんなで測定して、その結果の違いを自慢し合える世の中になったら、波動のコンセプトもしっかりと定着(風化?)するのだろうに。
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