五感を研ぎ澄ますと
昨年、少年少女向けの野外体験学習プログラムというものにちょっと縁があって、さわりだけ付き合う機会があった。
海辺の林の中で、インストラクターが 「目を閉じて耳を澄ませてください。さあ、何種類の音が聞こえるか、指を折って数えてみましょう」 という。試しに私もやってみた。
初めのうちは人間の立てる音しか聞こえない。周りの人間の小さな話し声、林の中の落ち葉を踏むカサコソいう音、そして、遠くの国道を走る車の音。しかし、すぐに驚くほど豊かな音の世界に、自分が包まれていることがわかってくる。
風の音が聞こえる。まるで自然が呼吸をしているように、強く、弱く、常に耳のそばで鳴っている。そして、その奥で通低音のように鳴っているのが、磯に打ち寄せる波の音だ。
小鳥たちの声も聞こえる。ツツピー、ピィ~、チュンチュン、チチチ ・・・。チュンチュンというのはスズメだろうが、その他は何という鳥かわからない。わからないが、鳴き声がそれぞれ違うので 4種類いることはわかる。そして、カアというカラスの声も聞こえる。これで鳥は 5種類だ。
さらに風が少し強まると聞こえる葉擦れの音。それも高い所と低い所では葉の種類が違うから、鳴る音も違う。少なくとも、12種類の音が確認できた。
しばらくして、子どもたちに何種類の音が聞こえたか、インストラクターが聞く。驚いたことに、ほとんどの子は 3~4種類の音しか聞いていない。話し声、足音、車の音、鳥の鳴き声ぐらいのものだ。
多くの子どもたちには、風の音が聞こえていない。さらに、鳥の鳴き声が聞き分けられず、1つの音にしか聞こえていない。葉擦れの音は意識すらされていない。これって、かなりやばいんじゃないかという気がした。
彼らは決して耳が悪いというわけじゃない。自然の音のちょっとした違いが聞き分けられないのは、彼らが普段、自然とあまり接していないので、違いを意識する訓練ができていないのだ。ハンバーガーしか食べていない子が、他の食材の微妙な味わいを理解できないようなものだろう。
私は昨日、約 10キロの道のりを歩いて、初もうでのはしごをした。途中は、車の往来の激しい県道を避け、ほとんど田んぼの中のあぜ道を歩いた。歩いているうちに、自然と対話している自分に気付いた。
日射しは常に変化している。急ぎ足なので太陽が現われれば汗ばむほどだが、雲に隠れればとたんに冷え冷えとする。その雲は、地形にも似た上空の大気の状態を見せてくれている。
風には風の道があり、少し移動するだけで耳のそばでなる風の音が変化する。冬の日射しのもとで、鳥たちは思い思いに鳴いている。冬枯れの時期とはいえ、主要な水路が近付くと水の流れる音がする。世界は豊かさに満ちている。しかしそれは、気付いた者のみにもたらされる豊かさである。
いつのまにかハイな気分になっている。ジョギングをしていると「ランナーズ・ハイ」という状態になることがあるが、山歩きなどをしていてもそうなることがある。「ウォーカーズ・ハイ」とでもいうのだろうか。昨日は久しぶりにそれを体験した。
五感を研ぎ澄ますと、世界はこんなにも豊かなのだ。いにしえの人たちは、現代に生きる我々よりもずっと多くの対話を自然との間でしていただろう。我々の気付かなくなってしまった多くのことを、さも当然のように理解していただろう。
そしてその向こうに、さらに五感以上の何かで感じられる世界が開けてくる。私はそれを「信心」と称している。「信仰」というほど大袈裟なものではない。人間を超えた世界を畏れ敬うという、ほんのちょっとだけ謙虚な心である。
「信仰」というのは、それが嫌いなら強制するものではないが、ちょっとした「信心」はあった方がいいと思う。
2時間 25分の初もうで行脚の記録は、和歌ログ 1月 1日付の記事に書いてあるので、興味のある方はどうぞ。
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コメント
(会社の帰り)歩いていると、ついつい、距離を稼ぎたくなる傾向にあります。一駅どころか数駅歩いちゃうことも…。
「ウォーカーズ・ハイ」は、間違いなくあります!
…たとえ人工的な音ばかりの中でも、聞き分けられるありがたさを実感したいと思います。
投稿: オッチャン | 2008年1月 2日 18:11
オッチャン:
>(会社の帰り)歩いていると、ついつい、距離を稼ぎたくなる傾向にあります。一駅どころか数駅歩いちゃうことも…。
おぉ、まだまだ若いですね!
ウォーカーズ・ハイは、かなり気持ちいいですよね。
>…たとえ人工的な音ばかりの中でも、聞き分けられるありがたさを実感したいと思います。
人工的な音でも、それを聞き分けたら、人間を本心から愛することができそうですね。
投稿: tak | 2008年1月 3日 00:03
私はバードウォッチングをするのですが、こういう感覚はとても大切だと思います。
多くの人たちは見るのも聞くのも臭いもかなりおろそかにしているような気がします。
それが判ればもっと楽しいのに!と言う感じです。
それと似ていて違うものに、ある一つのことに集中して他の感覚が全てなくなるというものもあると思います。
いわゆる「三昧の境地」というやつでしょうか。ここに入ると体の感覚も時間も無くなってしまう感じです。
滅多にそうなることはありませんが、それだけに貴重な状態だと思います。
投稿: fujioka | 2008年1月 3日 00:28
fujioka さん:
>それと似ていて違うものに、ある一つのことに集中して他の感覚が全てなくなるというものもあると思います。
>いわゆる「三昧の境地」というやつでしょうか。ここに入ると体の感覚も時間も無くなってしまう感じです。
>滅多にそうなることはありませんが、それだけに貴重な状態だと思います。
我が意を得たり!
年明け早々、素晴らしいコメント、ありがとうございます。
投稿: tak | 2008年1月 3日 10:18